目次
まずは、頑張り屋さん・
Mさん(上級達士)のリアルな
告白メールをご紹介させて下さい。
今では、見違えるほど
自信を取り戻しつつあるMさん。
「私、人から愛され、応援され、
よろこんでもらえてるんだ…」
という風に変わりつつあるMさん。
本当に、笑顔がふんわりと
素敵なかたなのです。(^O^)
でも、半年前には、こんな
訴えを送ってこられていました。
ぜひ、読んでみて下さい。
Mさんからののメール
「(前略)
少し 身体が動くようになれば
例によってパニックが出ます。
普段、しんどくて
仕事もしていない割に
家も片付いていない。
せめて 身体が動くうちに…
時間があるこの時にちゃんと
片付けなきゃ…
掃除しなきゃ…
ちゃんと…
ちゃんと…
そんな思いが
どんどんわいてきて
頭の中がぐるぐる回って
心臓がバクバクして
息の仕方がわからなくなって…
結局、薬をのんで
ぼんやりして
また何もできず…
ああまただ…
涙目になりながらも
ふと、今日は違いました。
私はこうやって
頑張ってきたんやなあ…
ずっと
ずっと…
と
いつもの自分を責める気持ち
とは別の気持ちが湧いてきました。
私は頑張ってきた。
いいお母さん、
いい主婦になろうと頑張ってきた…
ぼんやりした頭で
いろんな思いがでてきました。
今まで私は 人と
深くかかわらないようにして
自分を保っていました。
いつもは 高いところから
一歩引いてみている私なのに
先日 人にレイキの施術を
させてもらった時は違いました。
高いところから眺めているだけの
自分から離れて
いい状態になってくれればいいなと
一生懸命に願っている自分が
いるのです。
施術が終わって
ふと我に帰ると
必死に相手のことを思う自分が
気恥ずかしく
胸がざわざわするのです。
どうせ
私なんか、嫌われる…
相手に近づきすぎると
本当の私がバレて
みんな離れて行ってしまう…
何熱くなってるの?
本気になったら
ばかみたい…って泣く日がくるよ。
そのなんとも言えない
ざわざわが気持ち悪くて…
まだ そんな状態でも
施術のあとに
相手が喜んでくれたなら
まあ 救われるのですが
何にも感じなかった…
変わりない…
と言われてしまうと
私の中の もう1人の私が
自分を責めるのです。
調子に乗ってたからだよ?
そんな 無防備に
相手に近寄って行くから
そんな目にあうんじゃないの。
と…。
…苦しくて…
レイキを感じてもらえないのは
こちらだけの責任ではないと
わかっているけど…
そんなことを
考えながら
ふと…
これを乗り越えられたら
変われるかもしれない…と
思いました。
いろんな思いを飲み込みながら
淡々とできたらと思いました。」
(メールここまで)
誰かにレイキの手当てを行なうのは怖い…そんなかたへ応援を込めて
さて。辻耀子(つじようこ)です。
Mさんは、本当に
頑張り屋さんのかたなんです。
優秀で、熱心で、人から愛されています。
けれども、当時は今よりもずっと
「自分は嫌われている…」
という想いに苦しみながら
生きておられたんですね…。
そしてきっと、Mさん以外にも、
「レイキのアチューンメントを
受けたものの、
誰かに向けてレイキの手当てを
行なうのは怖い」
と、引っ込み思案に
なってしまうかたや、
「習ってきたからやらせて!」
というひとことが言えないかた、
きっといると思うのです。
今日は、そんなかたに向けて
応援を込めて書きます。
「手当ての練習を行なう、真の意味」
を、一緒にナゾ解きしてみましょう!
手当ての練習を行なう、真の意味
大正時代。
臼井式レイキ・創始者の
臼井先生が、お弟子さんに
『手当て療法の練習』
を通じて自覚してもらいたかったのは、
実は、まさにMさんが体験した、
『不快な感情、ざわざわ感』
だったのではないか?と私は思うのです。
(ちなみに、
このざわざわ感の正体は、
何だと思います?
そう、自信のなさ、劣等感、
拒絶、けなされる事への恐れです。)
臼井先生は、そもそもレイキを
『治療法』として伝えたかった
人ではありませんでした。
(結果的に、レイキは『療法』として
全世界に広まり、残り半分が
『教え』から削げ落ちちゃったんですけどね!)
臼井先生は、
レイキは『安心立命の境地』に
至るためのメソッドである、と
おっしゃっていたのです。
それはつまり、
『あなた自身が、
愛、調和、癒しの雰囲気をまとい、
そこにいるだけで周囲を光らせる…
心地よくさせる…、
そんな自分になるための道なのだ』
と。そう提言していました。
そして、その境地に至るための
便利で簡単な修行法・練習法が、
『手当て療法』だったのです。
失敗したくないから何もしない…『自信のなさ』に気づかずに生きている
「ん?辻さん、どういう意味??」
はい、説明してみますヨ。
ところで…。
ちょこっと話がそれますが。
あなたは、こんな言葉を
聞いたことがありませんか。
「人生、失敗したくない!と思い、
何も行動しないまま寿命を終えたなら、
結局、最も失敗した人生となる」
そう、私たちは、
「人生を変えたい!」
「もっとよりよくなりたい!」
「身体を楽にしたい!」
「やりたい事を謳歌したい!」
「夢をかなえたい!」
と口にしながら…
ついつい、行動を後回しに
しちゃいます。
(テヘ。でも心配しないでください、私もですからっ!)
それはなぜかと言うとね、
「トライして、もしも失敗したり
人から後ろ指刺されたり、
笑われたりしたら…」
「もしもうまくいったとしても、
妬まれ、攻撃されたり
陰口をたたかれたりしたら…」
と考えると、怖くなるからだと思うんですよ。
つまり、誰もが多かれ少なかれ
「自信のなさ、劣等感」を
隠し持って生きています。
(誰もが、です!!!)
しかし普段は、それを上手に
隠して、ごまかして、生きています。
(つまり、自分の中にある
『自信のなさ』に気づかずに
生きている人が多いのです。)
臼井氏が「手当て」の練習を通じて伝えたかったのは…
しかし。
レイキを学び、
「人に手当てをする」という行動を
トライしてみようとした時に、
この、普段は無自覚になっている
『恐れ』『自信のなさ』を、
自覚する事になります。
「怖い…」
「嫌われたらどうしよう、
バカにされたらどうしよう、
拒否されたらどうしよう…」
かく言う私も、20代の頃、
レイキの初心者の頃には、
人に「レイキさせて」って
依頼するのに
どれほど勇気がいったことか…!!!
(いやーもう!!本当に…!)
(怖すぎた…!練習会でさえも!)
つまり、臼井氏が、
『手当て』の練習を通じて、
自分のお弟子さんに伝えたかったのは、
『人は鏡』だということ…
人は一緒だ、よく似ているということ…
「自分も自信がないけれど、
相手だって同じなんだ」
「自分も劣等感を隠しているけれど、
相手だって同じなんだ」
「自分だけがつらいと
思ってきたけれど、
相手も色々ある人生を生きてきたんだ…」
おそらく、まさにこの事です…。
我々は何のために、肉体をもって
生まれ、生きているのか。
人によっては、
「なぜ、人は何度も生まれ変わり、
前世の遣り残しの宿題をこなさねば
ならないのか…。」
こんな風に考える人に向けて、
「その答え」を会得してもらうための
きっかけ(入口)として、
『初級・中級』の段階で、
手当て療法の実践練習を組み入れたと思うのです。
(なぜなら、そこを超えた先にしか、
「ああ、生きててよかった…」
「ああ、有難い…」
というような、
『心の底から幸せを感じる人生』
は待っててくれないからです。)
『大いなる安心感』に包まれる人生を手に入れるには…
では。ここからは、私が自分の
『レイキの道』を歩く中で
気づいたことを書きますね。
昔の私は、自分の気持ち…
特にネガティブな気持ちに
気付かないフリをしていました。
適度に人と距離を保ち、
「あの人と私は違う」
「あの人になんて、私の気持ちは
分かってもらえない」
「でも本心、本性を知られたら、
きっと嫌われる」と思い込んでいました。
だから、必死で、
本当の自分を隠していいました。
しかし、実は私たちは、
こんな風にしている限り、
『分離感』の中でしか生きられないのです。
ともあれ、
分離感、孤独感、そこから来る
そこはかとない『不安感、焦り』。
なんだかよく分からないけれど
「このままじゃダメなのでは…?」
と焦る気持ち。
当時の私には、
これらの、漠然とした不安感の
種火が、ずっとずっと、
心についていました。
(で、その『分離感』を他人に
処理してもらおうとします。
で、「何で分かってくれないの!」
と、家族や大切な人とケンカに
なったり、不平不満が心に渦巻き、
しょっちゅう傷ついてました…。)
ともあれ、私たちは、
心が安心感に満たされていなければ、
「ああ、生きててよかった…!」
という種類の、感謝や感動、
よろこびがなかなか
こみあげない生き物なのです。
そして、今なら分かるのです。
『分離感からくる、根本的な孤独』と
『孤独からくる、自信のなさ』
から脱出できない限り、
『大いなる安心感』に包まれる
人生は、手に入らないわけです。
『つながり感』『一体感』『よろこび合い』を体感する手当て療法
「じゃあ、どうすれば、
心の安心を手に入れられる?」
「どうすれば、心が満たされる?」
今なら、その答えが分かります。
そのためには、
「ああ、
人も自分もそう大差なかった。
みんな一生懸命頑張ってる。
みんなよくやってる。
迷惑かけたり、かけられたり。
でも、お互い様だった…。
そして、自分のいのちは、
多くの人の支えの上にある。
生かされ、生かし、
支えられ、支え、
…おかげさまで
生きているんだなぁ」
というような、
『つながり感』『一体感』
『よろこび合い』を
体感する必要があるのです。
それには、『手当て療法』は
もってこいの練習テーマです。
どうしてかと言うと、
人に触れるとき、
ドキドキハラハラしますもん。
あまり親しくない人の場合、余計に。
(特に私は、
失敗したくない!
恥をかきたくない!
うまくやらねば!
と思う気持ちが人一倍強かったため、
めっちゃ緊張しました…!)
実は、この恐れの正体は、
『エゴ』なんですよね。
しかし、この
「エゴのハードル」を超えた先に、
『まだ見ぬ、満たされた境地』
があるのです。
それが、『安心立命の境地』です
分かりやすく言えば、
感謝、感動、一体感。
よろこび合いの境地です。
心がゆったり、ほっこりとして、
自然体でいられ、
たましいがのびやかに
きらめいている状態です。
大いなる安心感に包まれた境地です。
そして…最終的には、
「宇宙=我、我=宇宙」という
悟りの境地も待っています。
(※これは何も、
病気だと感じられない、とか
健康にならないと得られない、
という境地ではありません!
病気でも得られます!)
ともあれ、真に幸せを感じながら
生きようと思うと、
まず、エゴに気づかなければなりません。
そして…
エゴを捨てるのではなく、
エゴを横へ置ける自分になるのです。
そのための、コツを掴むのです。
それが、
『感謝と感動、よろこびに溢れる人生』
へ向かうための、近道です。
そのための、楽で簡単な修行法が、
・『レイキ療法』(手当て)
・『日本伝統式・自己鍛錬法』
なのですね。
(何てシンプル!!)
感謝と感動、よろこびの人生を思いっきり味わう道
…まとめておきますよ。
私たちは、苦しむために
生きているのではないと、
今現在の私は、確信するのです。
臼井先生も、「この宇宙が、
我々を『病気にしてやろう』と
思っているはずがない。
自らが、宇宙の流れから
それてしまった結果、
病気や苦しみが
『お知らせ』として来るだけなのだ」
と言っています。
しかし、じゃあ修行のために
生まれてきたの?というと…。
いえ、私はこの説にも反対なのです。
我々は修行のために
生きているのではない。
この人生を謳歌するために
生きているのだ…!
だからこそ、たましいの進化とは、
『感謝と感動、よろこびの人生を
思いっきり味わう道なのだ』。
…これこそ、
『我々が生まれた目的である』。
そう、最近、強く確信する自分がいるのです。
(以前は、この説には
異論を感じていた私です。
このことを認めたくなかったのです。)
(※注
もしもあなたが、私の文に
賛成できなくても、
全然いいのですよ!!
これは、私がここまで生きてきて、
「やっぱそうか~」と確信した、
という個人的な話なのですから。
あなたと私の考えが一致して
いなくてもいいのです♪
あなたは自由に決めていいのです!
参考程度に読んでくださいネ。)
そんなわけでMさん。
そして、今ここを
読んでくれているあなたへ。
たましいが進化するほど、
人生は軽やかに、楽しく、
納得感や充実感が増えてきます。
苦しみが減ってきます。
正直、それでもたまに、
試練はやってきます。
(誰もが、老いや死から逃れられないように…。)
しかし、大丈夫!
「つながり」が感じられると、
めっちゃ強くいられるのです!
何か試練があっても、
以前は「岩」ぐらいのサイズに
感じていた出来事を、
小石ぐらいにしか感じないほど、
あなたの心はどんどん強くなってきます。
もう随分、進化の山を
登ってきましたよね…♪
山登りは、つらい登山ではなく、
上に行くほどお花畑があったり、
綺麗な滝や泉があって
気の合う仲間もいて、楽しいのです。
お弁当食べながら、ピクニック気分で
登っていけるのです。
…そんな、『レイキと共に歩む道』を、
神道では『神ながらの道』と言います。
空海は、『同行二人』と言いました。
レイキは一切の宗教と無関係ですが、
あなたがさらによろこび溢れる人生へ
向かうために、
『レイキさんと共に歩む人生』、
アリだと思います!(^O^)
何しろ、レイキを信じようが
信じまいが、それはすでに
あなたの住む空間の大気中にあり、
宇宙のどこにでも、まんべんなく
充満しているのですから…。
レイキとは、
「いのちをはぐくむ元」となる
根源的なエネルギーなのですから。
長くなりました。
今日も読んでくださり、嬉しかったです!(^O^)
この後も、いいひとときになりますように…♪
つじようこ より