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こんにちは!
理事長の辻耀子です。
今回もご質問をいただきましたのでお答えしますね
Q:他者に手当てを行うことに自信が持てません…
(Mさん(女性)より 上級 大阪)
Q:「他者に手当て(ヒーリング)を
行なう事に自信が持てません。
心地よさを感じながら行なうのが
コツ、と聞きましたが、
緊張したり、全然気持ちよさを
感じてもらえなかったらどうしよう…
と考えてしまうと、
それどころではなくなるのです。
こんな私は、おちこぼれだなと
思うと、さらに落ち込みます。
ヒーリングに自信を持ち、
もっとラクに生きるには
どうすればいいですか?」
A:最終目的は、臼井先生が提言した『自分の本質の開花』
A:(辻耀子より)
「Mさん。
お友達への手当て(ヒーリング)の
練習、本当によく頑張っておられますね!
そのチャレンジ精神が
素晴らしいと思います。(^o^)
そして…「自信がない」とのこと。
臼井先生の目的は不快な感情を自覚させること
実は、100年以上前、
臼井式レイキの創始者・臼井先生が、
なんと、
当時のお弟子さんに『手当て療法』
を修行として練習させたのは…
まさに今、Mさんが
体験している不快な感情、
ざわざわ感(=自信のなさ)
を自覚させるためであった、
と言われています。
臼井先生は、レイキ療法そのものや
病気治療を
「最終目的」としていた人ではなく、
ヒーリングを超えて、
『心穏やかに、よろこび溢れる
人生を謳歌する人を増やしたい』
『人を光らせる人を増やしたい』
と考えておられました。
つまり、その境地に至るための
修行段階として、
レイキ療法を勧めておられたようなのです。
初めて自覚する気持ちはポジティブではないケースもあります
…そして、臼井先生が提言した、
最終目的は、
『自分の本質の開花』。
これは、
『あなたの存在そのものが、
周囲の人をほっこりと癒したり、
気付きやよろこび、調和、
平和を感じさせる…、
そんな、感謝に溢れており、
人を光らせる人になりましょうよ。
みんなでそこを目指し、
人生を楽しみましょうよ。』
という提言です。
…難しい言葉で言えば、
『安心立命の境地』です。
「人に手当てをする」
という行動をやってみて、
初めて自覚する気持ち…、
それは、意外にも、
ポジティブな気持ちでは
ないケースもあります。
例えば私も、初心者の頃は
他の人に手当て療法を行なう時、
ヒヤヒヤドキドキしたものでした。
「どう思われるかな…」
「ガッカリされてないかな…」
「迷惑じゃない…?」
こんな事を考えて、ビクビク
心配していました。
よく、『人は鏡』だと言いますが…
私達は誰もが、自分のものさしで
他者を測ります。
どういう事かというと、
「こんな時、私だったら
このように感じたり、考える。
だからきっと、この人もそうだろう。
そうに違いない」
という風に、考えがちなのです。
(これは、誰もがそうです!)
(自分のものさしで人を測るな、
と言いますが、
実は、それは精神構造上、
ムリな事なのです。)
精神的に向上するための修行として
しかし、そのおかげで、我々は
無自覚だった『自信のなさ』や
『心配、恐れ』『うぬぼれ』
などを体感・実感します。
その気付きを得て、精神的に
向上するための修行として、
『初級・中級』の教えと、
レイキ療法の実践練習があるのです。
(なぜなら、そこを自覚し、
超えなければ、
『幸せを感じ、感謝に溢れる人生』
は待っていないからです。
これは何も、人格者を目指そうよ、
という話ではありません。
自分の気持ち…
特にネガティブな気持ちに
気付かないフリをして、
適度に人と距離を保ち、
本当の自分を隠して
そつなくやっている限り、
本音から沸き立つよろこびが
なかなかこみあげないからなのです。)
だから、
さらに軽やかに人生を謳歌する
ために、自分を進化させようよ、
という事です。
“宇宙=我、我=宇宙、全ては一体…。”
次に。
こんな言葉もよく耳にしませんか。
「人生で、失敗したくない!と思い、
何も行動しないまま寿命を終えたなら、
結局、最も失敗した人生となる」
この言葉も、まさに…ですよね。
我々が何のために、肉体をもって
生まれ、生きているのか。
しかもなぜ、人生上で、
何度もよく似た状況や
試練がやってきたり、
同じテーマ(悩み苦しみ)から
抜け出せないのか。
なぜ、やり残した宿題のように、
何度も同じような問題が
やってくるのか…。
それは、『自分自身が変わる』
『脱皮する』まで、
何度も繰り返されると思いませんか?
そして、もがきながらも
『自分の心のよろい』を脱ぎ、
脱皮するうちに、
私達は気付くのです。
「ああ、みんなからすごいと
絶賛される人にも悩みがあったり、
成果の裏に、ものすごい努力や
下積みがあるんだな…。
意外と、自分と大差ないのだ…、
同じように生きている人なのだ」
と思えたり、
「ダメなヤツ、イラッと来るヤツ
にも、その人なりの理由や
努力、失敗、心の傷があり、
その人もまた、試練の中で
もがき、頑張っているんだな…
やはり自分と大差ないのだ…、
同じように生きている人なのだ」
と思えるかどうか。
この気付きを繰り返し、
精神の脱皮を繰り返すうちに…
やがて私達は、
“宇宙=我、我=宇宙、
全ては一体…。”
という感覚に近づいていきます。
本質のさらなる開花
「ああ、他者も自分も
実は、そう大差ないんだ…」
「頑張りが愛しいなぁ、
他者につらい事があると
自分ごとのように悲しいなぁ」
という悟りです…。
その時、私達はそれぞれ、
自分を誇り、
自分の頑張りを認め、
ベストを尽くし、人に感謝や
応援、祈りを送る人となっています…。
当たり前のように、ごく自然に、です。
つまり、そう考えると、
私達が生きる意味が
おのずと導き出されます。
ズバリ、これです。
“本質(たましい)のさらなる開花”。
これを、私達は体験したいのだと
思うのです。
私たちは「つながっている」
最高の自分を発揮し、
人に認められよろこばれ、
そんな自分を誇りたい。
最高に輝く自分を見つけ、
その自分らしさ・素晴らしさ・
個性を自分で確認したい…!
しみじみと味わい、
他者とよろこび合い、
繋がりたい。
「生きてて良かった…!
生まれてきて良かった…!」
と心の底から納得したい。
そこに至るには、
他者と関わり、他者を
鏡として気付きを得ていくのが
早いのです。
(いや、むしろ、人との
関わりなしでは、本当の意味で
自分自身を磨き、クリアにし、
器を拡げていく事は
出来ないでしょう。)
なぜなら、実際、私達は
「つながっている」からです。
別々のように見えているだけで、
深い深い部分で…
地下水脈のように
連綿と連なり、
繋がっているからです。
あなたがハッピーなら周りにもいい影響の波紋が広がる
そう、私達は、よくも悪くも
人に影響を与えて生きているのです。
(言葉に出さなくとも、
エネルギーの波紋が
広がっているのです。)
だから、あなたがハッピーで
穏やかである時、
まず、あなたの周囲の人たち…
ご家族や友人に、いい影響の
波紋が広がります。
逆も起こっているはずです。
ご家族やお友達がハッピーで
思いやりに満ちていれば、
あなたも快適に過ごせるはずです。
そう考えると、
今こそ私達はエゴを超越して…
「自分さえよければいいんだ」
という想いを超えて、
その内側、核の部分で
繋がる必要があります。
心の鎧(よろい)を取り、
勇気を持ってハートを開き、
正直な自分のまま
人に関わっていき、
コミュニケーションを取る。
それがうまくいった時には、
高い周波数での
エネルギー共鳴・循環が起こります。
愛、調和、癒し、祈り、
よろこび合い。
その瞬間を体験し、謳歌する時、
我々は
「これぞ生きる目的であるのだ」
と、強く確信するはず。
そう考える自分がいるのです。
(実は昔、自己否定感が強かった頃の
私は、ひねくれ屋さんだったため、
この説には異論を感じていたものです。
この事を認めたくなかったのです。
「そんなのきれい事だよ」って
言いたかったものです(苦笑)。)
まとめます
そんなわけで…。まとめます。
たましい(本質、愛、調和)が
開花するほど、誰の人生も、
軽やかに、楽しくなります。
人生に意味が見えてきて、
納得感や充実感が増してきます。
苦しみが減ってきます。
もしもまた、何か試練があっても、
もはやそれが
目の前に立ちはだかる大きな岩
ではなく、
小石ぐらいに感じられるほど、
強くなってきます。
「随分、進化の山を登ったなぁ…♪」
そう言えるようになります。
軌道修正もどんどん起こります。
そして、この、
『人生という名の山登り』は、
上に行くほどお花畑があったり、
綺麗な滝や泉があって、
気の合う仲間もいて楽しいのです。
山頂に近くなるほど、
お弁当食べながら、
ピクニック気分で登っていけるのです。
(だから、たとえ今、
つらい登山だと感じている人
であっても、信じて登り続けて欲しい。)
…さぁ。
ご縁あって、今ここを読んで
下さっているあなたへ。
当協会の講師やみんなは、
つながりを楽しみたいと思っています。
ご縁ある人と、
みんなでゲラゲラ笑いましょう…!
今、たとえ持病がある人でも、
闘病中でも、今すぐに
幸せを見つけ、感じる事は可能ですヨ!
だから、どんどん、みんなで
軽やかになりたいのです♪
では、
ひきつづき応援していますね!(^o^)