その「嫉妬心」はどこから来ているのか?
理事長の辻 耀子(つじようこ)です。
今日は「人生を変えたいけど、なかなか…」というかたへ向けて、応援を込めて書きますっ。
さて。早速ですが、あなたに質問があります。
「どうもあの人の事が苦手…!存在そのものがイライラする」
「別に迷惑かけられてる訳じゃないから悪く言いたくないけど…でも、正直キライ」
このような人がいますか?(今、どなたか思い浮かびました?)
以前、「自分の嫉妬心に着眼してみよう。あなたは、実はその人が持っているものが欲しいのかも?」という内容で、ブログ記事を書いた事があります。
すると、こんなメッセージをこっそり送ってくれた女性がいました。
「実は、ある人の事が苦手です。
その人のやることなすこと、イラッとくるんです。
…以前は、単に「何か気に食わない、イラッとする」と思って、相手を見ていました。
でも…。
これってもしや「嫉妬心」なのでしょうか。
だとしたら、私は相手のどこに嫉妬してるんでしょう?
(私は何が欲しいんでしょう?)
自分自身でもイヤだなぁと思いますが、そう感じているのはなぜなのか、機会があったら辻さんに聞きたいです。」
いや〜、心中お察しします。
まず最初にお伝えすると、その人を好きになろうと頑張る必要って、別にないんですよね。
相性だってありますもんネ。
でも、「気に食わないあいつ」の存在が気になって(ウザくて)苦しい人は、ぜひこの先も読んでみて下さいっ。
それから、先にお伝えしておきますっ。
今日の内容は、耳を塞ぎたくなるようなお話ですっ。
(ココロの経絡秘孔を突く可能生アリっ、要注意!)
覚悟のうえで、『心理の種明かし』を読んでね。
では、今から物語風に説明しま〜す。
(はじまり、はじまり〜!)
あなたは、甘いものが大好きです。
特に、ケーキが大好きなのです。
けれども、ダイエットのために甘いものをストップする事を、固く、固く決意しました。
そんなある日、あなたの前に、知人・Aちゃんが現れます。
Aちゃんは、「あたし、どれだけ食べても太らないんだ〜」というのが口ぐせのスタイルのいい女性です。
Aちゃんは、手にケーキを持っていました。
「はい、これお土産♪一緒に食べようと思って買ってきたよ♪」
…それはあなたが大好きなケーキ屋さんのケーキでした。
箱の中には、2つのケーキが入っています。
Aちゃんは、あなたの分もお皿に載せて、「どうぞ♪」と差し出してくれました。
…けれども。
あなたはグッと腕組みをして、ケーキに手を伸ばさないよう、我慢しなければなりませんでした。
喉から手が出そうなほど、大好きなケーキ。
今すぐ食べたいケーキ…!
それが目の前にあります。
うっかり気を抜くと、手づかみで食べてしまいそうな衝動にかられます。
でも、がまん…!!
すると、Aちゃんが気づきました。
Aちゃん:「あっ!ごめん!たしかダイエット始めたんだっけ!忘れてた〜!」
Aちゃんは別に、性格の悪い人ではありません。
ダイエット中のあなたを邪魔してやろうとわざわざ嫌がらせのためにケーキを買ってきたわけではありません。
単に、あなたがダイエット中なのを忘れて、好意でおみやげを買ってきてくれただけなのです。
その事は、あなたにも伝わっています。
あなた:「別に謝らないでよ。せっかく買ってきてくれて有難うね。でも我慢しとくね、今は」
Aちゃん:「え〜?でもせっかくだし、一緒に食べない?ひとつぐらい食べても大丈夫だよ〜。せっかくあなたがよろこぶと思って買ってきたんだけどなぁ…」
あなた:「マジで有難う、でもここで食べちゃ終わりだから。だから、我慢するね」
Aちゃん:「え〜、そう?…じゃあさ、私が2つとも食べていい?」
あなた:「えっ、」
Aちゃん「捨てるのも勿体ないもんね。だから、私が食べるよ」
あなた:「…(ううっ、)」
Aちゃんは、あなたの目の前でぺろりと1皿目を平らげ、そのまま2皿目へ。
Aちゃん:「おいしい〜!ちょっと食べてみる?あと半分あるよ?」
あなた:「…(うううっ)」
Aちゃん:「あ〜あ、勿体無いなぁ、こんなにおいしいの、我慢するなんて。そこまで頑張ってダイエットしなくても、あなた別に太ってないし、大丈夫なのに〜」
あなた:「…(うううううっ)」
Aちゃんは見事な食べっぷりで、2つのケーキを食べちゃいました。
あなたは、ぶつけようのない苛々を胸に抱え、気分の悪さを表情に出さないよう、こらえたのでした。
どうでしょう、ここまで読んで。
「うわ〜、イラッとくる気持ち、わかるわ〜」
という人もいれば、
「Aちゃん、せっかくケーキを買って来たのにね。よろこばせようと思って買ってきたのに、気の毒だったね」
という人もいると思います。
実は、私たちが
「どうもあの人の事が苦手…!存在そのものがイライラする」
「別に迷惑かけられてる訳じゃないから悪く言いたくないけど…でも、正直キライ」
と思う時…。
心の深い部分では、この物語のような事が起こっています。
繰り返しますが、Aちゃんは、性格の悪い人ではありません。
Aちゃんは、あなたに悪意も持っていません。むしろ、好意を持っています。
けれども、あなたをイラッとさせるのです。
通常、我々は、相手から時々こういう事をされると、(たとえ相手に悪気がなくても、)
「Aちゃんって、何か気に食わない…!」
「内心、ダイエットしてる私を笑ってるんじゃ?それとも自分の体型を自慢したいの?」
「ムカつく事して、イヤミな女!」
という風に考えたりします。
でも、もしもその段階でとどまらず、自分の深層心理を分析出来たなら…?
『もしかして、イラッとくる原因は、実は自分の側にある?』
というところまで、自分の心の中を除くことができたなら…?
あなたは心理分析士の素質、充分に、じゅう〜ぶんにありますっっ!
「自分のルール」を破る人に無性に腹が立つ
◆深層心理の種明かし:
私たちは、『自分』に対して何かのルールを作る事があります。
「〜〜するべき」
「〜〜するべきじゃない」という具合に。
そのルール(=禁止事項)は、大抵の場合、3歳〜12歳頃、幼少期に作られます。
(何かに失敗したり、人前で恥をかいたり、つらい目に遭った時に、反省を込めてルールが作られる事が多いです。)
やがて、あなたにとって、このルールは、ごくごく「当たり前」の『常識』となっていきます。
年月が経つと、何の出来事がきっかけでそのルールが出来たのかをあなたは忘れてしまいます。
けれども『ルール』だけは、あなたの人生の『常識』としてあなたの『人格』とぴったりくっつき、『性格』の一部となっていくのです。
そして…。
大人になった時、
もしも、その『常識』(=ルール)をあなたの目の前で、あっさりと破る人間が現れたなら…?
あなたはそれを見ただけで、無性に苛立つものなのです。
でも、そりゃ、ムカついて当然だと思いませんか?
だって、相手はルール破りの人なのですから!
話が横へ添れますが、
私自身の過去の体験を白状します。
実は、私は幼い頃から、感情(喜怒哀楽)をのびのびと表に出せる人が羨ましくて仕方がありませんでした。
無邪気に自己主張出来たり、「先生、今日しんどい〜」と遠慮なく言えるキャラの同級生が苦手でした。
(私は真逆のキャラだったんです。何も言えない子でした。)
でも、私はある時、そんなキャラの男性と付き合ってしまった事があります。
そうすると、徐々に相手のそのキャラが、目について、イラッとくるわけですよ。
さらに、ある時、相手からこう指摘されました。
「お前は何を考えてるのか分からない。もっと遠慮なく、感情を出せばいいのに」と。
けれども、私には、それは出来ません。
「喜怒哀楽を表に出してはいけない」という『ルール』が、ガッチリとあるわけです。
(もちろん、当時の自分はこのルールにまったく気づいておらず、認識できませんでした。)
そうすると、私は「やろうと思っても出来ない」という境地にハマるのです。
どうしても、相手と同じように自己主張が出来ません。
どう頑張っても、どう努力しても出来ません。
…イライラするのと同時に、私の心の内には、あっさりとそれが出来る相手に対する嫉妬がムクムクと沸き起こりました。
「いいなぁ」という羨ましさは、やがて「ムカつく…!」というほどの嫉妬に変わっていたのです。
何だか、相手のことがズルい人のように見えていました。
「なによ、私はしんどい時でも表情に出さずに黙々とやってるのに…!」
「いい年なんだから、少しぐらい我慢しなさいよ!…ていうか、何で我慢しないんだろ?社会人としての常識がないんじゃない?」
「自分のルール」に気づけると自由になる
そうです。
先ほどの、ダイエットのケーキの物語に私の実話を当てはめてみて下さい。
(そうすれば、カンタンに心理の種明かしが出来ますよね。)
私は自ら「ダイエットする!」と決めました。
(誰かにそうしろ!と言われたのではなく。)
私は自ら、「ケーキを食べない」と決めたはずなのです。いつか、もう記憶にないほど昔に…。(何か、嫌な目に遭って。)
けれども、「食べないなら食べよっと♪」と目の前で平気で食べる人を見て、「ズルいよ!」と、苛立ったわけです。
この話は、
「悪いのはあなたですよ、相手ではなく」
と言いたいのではありません。
実際「どちらが常識的でどちらが非常識か?」
という議論になった場合、あなたのほうが正しいことも多々あるでしょう。
また、あなたが変わらなければならない、という話でもないのです。
その「正しさ」を一旦横へ置いて、着眼して欲しいことは、たったひとつだけ。
「相手に対する苛立ち。そこから、あなたは自分が大昔に作った『ルール』に気づける」という事です…!
そうです、その『ルール』はあなたの人生や価値観を縛る、目に見えない『呪縛』に他ならないのですから。
さらに…。
実は、
「イラっと来た…という事は、もしかして、自分の中にルールがあるという証拠?」
という風に、
自分自身の心理のカラクリに気づいた人だけが、得られるモノがあります。
それは、でっかい恩恵です。
“自分の殻(=枠)から出て、自由になる”
という恩恵です。
気づいた人だけが、呪縛から解き放たれて、のびのびと「こうありたい!」という自分に近づけるのです。
「えっ、辻さん、それはどうやるの?」
「その方法は…?」
それはまた次回にっ!
今回は、とんでもなく長い内容を最後まで読んで下さり、有難うございました♪(やほう!)
…最後に、もしもよければ、せっかくなので宝探しの質問ですっ。
「あなたがイラッとくる人は、あなたのルールを破る人です。
という事は…。
あなたはどんなルールを守っていますか?
(ルール=常識、「〜べき」「〜べきじゃない」「だってこうするのが当たり前でしょう?」というものです。)
これをぜひ、見つけてみて下さいナ♪
見つけるごとに、あなたは脱皮し、さらに進化して、今以上の心の自由を得るのです。
ルールを手放すごとに、人生で望むものや「ありかた」が明確に…浮き彫りになるのです♪
ではでは、また次回!(^^♪
今回のまとめ
イラッときた時は、自分自身を縛る呪縛を見つけるチャンスです。
見つけるごとに、あなたの心は『自由』へと近づいていきます。
by 辻 耀子(つじようこ)