理事長の辻 耀子(つじようこ)です。こんにちは!(^^♪
今日は珍しいQ&Aに、7連発で答えてみたいと思います。
楽しんで頂けるといいな♪
Q:「以前、他所でレイキを学んだのですが、途中でその先生(レイキマスター)の未熟さが見えてしまい、その先生のもとで学び続けるのが嫌になってしまい困っています。
何で未熟な人がマスターを名乗っているのでしょうか?
無責任ではないでしょうか。
その事にも腹立たしさを覚えます。」
A:(辻 耀子より)
「それはとても苦しい状況ですね…。お気持ちお察しします。
「未熟さ」について詳しい事が分からないので、決め付けるような事は言えないのですが、その未熟さが『レイキを伝える腕前(レクチャースキル)であったり、アチューンメントの腕前が『不真面目・不誠実』であるなら、少し問題ですね。
けれども、それ以外の部分(つまり、指導内容ではなく性格、人格的な部分)で、ふとした拍子にあなたが師範の未熟さを感じたのであれば…。
もちろんその度合にもよりますが、師範は『インストラクター』としての役目の範囲は果たしているともとれます。
(ですので、一概に「その師範はダメですね」とは言いがたいものです。)
ともあれ師範も人間ですので、不完全であったり、発展途上である事は間違いありません。
それから、人間同士ですので相性もあります。
好みの差もありますよね…。
それでも、どうしても今の師範のかたが耐え切れないという事であれば、別のレイキ師範(レイキマスター)を探し、一からそちらで学びなおすのが一般的です。
(レイキには様々な流派系統がありますので、茶道や華道の世界と同じように捉えてください。流派変えをするならば、次の先生につき、また一から学ぶという事になります。)
なお、もしもその師範との今回の出会いにより、何らかの気づきを得ることが出来れば、別の角度からの学びとなった可能性もあるはずです。
(いわゆる反面教師という状況ですね…。)
時にこういう残念な事は起こりますが、後から振り返って「あの先生から学べたことは確かにあった、と思えるといいな…と願います。」
(※今からレイキを学ぼうと思うかたへ。どうか『完全なる人、神のようなレイキ師範』を探しても、この地球上のどこにも存在しないのだという事も今一度知っておいて下さいネ。)
Q:「レイキマスター(レイキ師範)になりたい!という気持ちがありますが、その気持ちが強くなるごとに、自分の欠点というか不完全さ、ダメな部分が気になって落ち込んでしまいます。」
A:(辻 耀子より)
「大丈夫ですよ、落ち込まないで下さい。そんな必要はないですよ〜!
今から大事な事をお伝えします。
『カンペキな自分になってから、師範になろう!』と思ったならば、永遠に、師範にはなれません。
『自信がついたら、師範になろう!』と思うと、その日は永遠にやってこないのです。
それに、カンペキな人物のように振舞おうとしても、しんどくなっちゃいます。
ありのままのあなたで大丈夫!(^o^)
あなたにはすでにキラキラした魅力の種が山ほどあるはずです。
今よりさらにキラキラ・イキイキしたものを、ひとつずつ芋掘りするみたいに土の中からおもてに出していけばいいと私は思うのです。
もしも欠点や、自分で気に入らない点があるとしても、放置しておいてください。
そんな事よりも『キラキラの種を見つけ、土の中からおもてに出していくこと』…この手法を身に付ける事に全力を注いで欲しいのです。
なぜなら、その方法こそ、多くの人が知りたい事だからです。
そして、それを伝えてあげられる人こそ、『人を光らせてあげるお手伝いさん』です。それでこそ『レイキ師範』です。それがレイキ指導者のの仕事だと私は考えるのです。」
Q:「現在、レイキマスターになって数年たちます。
けれども私は現状に満足していません。
ズバリ言えば、もっと人気のあるレイキマスターになりたいです。
そのためにやれる事は何でも努力するつもりです。
アドバイスが欲しいです。」
A:(辻 耀子より)
「自分の正直な気持ちをストレートに口にするのは、時に勇気がいったりするものですネ。
(恥ずかしかったり、どう思われるか考えると怖くなったり。)
あなたの熱意とまっすぐさ、そして決意の強さをメールから感じました。
すごく素敵です。
ですので私も、応援の気持ちを込めて、真剣にお答えしますね!
レイキに限らず、ボディーワーカー(整体、カイロ、マッサージなど)、カウンセラーなどの職業にも共通する『うまくいく根本原理』、つまり人気者になる原理は存在すると私は思っています。
そもそもヒーリングを受けに来る人は、一体何が欲しくてそこを訪れるのでしょうか?
(逆にあなたがレイキ・トリートメントを受けに行く時には、何を求めてそこへ行きますか?)
ここについて考えてみると、おのずと答えはハッキリ見えてくるかと思うのです。
ちょっと分かりやすいように、逆に『カウンセラー』という仕事を例に出して説明させて下さい。
私は過去、プロの心理カウンセラー養成するスクールを経営していました。
十数年間に渡り、多くのカウンセラー志望者を観てきました。
そして、たとえ立派な資格や豊富な知識を持って独立起業しても、人気カウンセラーになれない人々も多く見てきました。
彼らには共通の問題点がある事も感じています。
人気カウンセラーになれない人は、どこに問題があると思いますか?
実は、彼らには共通点があります。
彼らは、『役に立つ知識や、役に立つなにかを相手に与えよう』という事に熱心なのです。
決して彼らが人間的に劣っているとか、不真面目だとか、そんな事はありません。
むしろ非常に熱心で、これ以上ないほど真剣にカウンセリング技術を習得しています。
ただ『問題解決』に意識や興味が向きすぎるあまり、『今、目の前に居る人』を見ているつもりでいながら、『実は見ていない』という状態に陥りやすいのです。
これはレイキ・ヒーラーも同じだなぁ、と私は感じています。
(他のボディワークも同じです。)
「うまくヒーリングを行なおう」「効果を出したい」という事に意識を向ける前に、まず目の前に居るその人を「まっさらな心で迎えよう、この人の事を知ろう、もっと深く理解しよう」という取り組み姿勢。
これさえあれば、訪れたかたは非常に安心しますし、感激します。
(なぜならそれこそが、訪れる人が真に欲しいものだからです。)
「自分の事を、分かろうと思いながら…理解したいと思いながら、見て欲しい。関わって欲しい。」
逆に言えば「ああ、このヒーラーさんは私の事を分かろう、理解しようとしてくれている」と感じられたなら、来訪者さんはそれだけで、半分気が済むのです。
目の前にいる人は、世界中でたった一人しかいない、その人なんですよネ。
一生のうち、あなたが出会える人の数など、80数億人中、ほんの一握り。
その低い低い確率の中、あなたとご縁のあった人なんですヨ。
だから、その出会いの不思議さを楽しんで欲しいのです。
そうすると、結果的に来訪者さんのこれまでの人生、考え方、なぜ今ここにいるのか…という事について、おのずと興味関心が湧きます。
そして、興味関心を持って、相手を理解しようとした結果、おのずと『訪れてくれた目の前の人を大切に扱う』という事が出来るんですね。
その時はじめて、訪れた人も「ああ、この人と出会えた私は、何てツイてるんだろう!今日はステキな日だった!」と感激してくれるものだと思うのです。
(この感激はやがて大きな波紋になり、その連鎖が起きれば、結果的に口コミで人気者になります。)
つまりここまでの話をまとめると、一生懸命、ひたむきに、謙虚に。
自信を持っていても、いなくても、ただひたすら謙虚に謙虚に…相手とのご縁に感謝して、ヒーリングをさせて頂く。
ていねいな、ていねいな気持ちを心がけて関わるという事が、仕事をする上で何よりも大切であって、そのポイントを押さえている事こそ重要な事だと私は思っているのです。
「ああ、この人は自分のことにとても熱心に耳を傾けてくれようとしている。一生懸命自分のことに関わろうとしてくれている」
この感覚が伝わって来た時に、人は嬉しくて嬉しくて、感激するのです。
だから、「いいアドバイスや、適確な指摘・指導が出来るヒーラー」よりも「人並み外れた腕前を持つ天才」よりも、『耳を傾ける熱心な姿勢』のほうが大切だと私は思うんです。
そういう意味から、私はカウンセリングやヒーリングに関しては、プロレベルでなければ!と深刻に考える必要はなく、来訪者さんの話したい事柄を、うなずきながら聞いてあげるという程度でも 真摯で誠実な気持ちが伝わればよろこばれるものだと思っています。
つまりレイキ・ヒーリングにプロフェッショナルな心理カウンセリングや分析、心理療法は必要ないとも思います。」
(※これは私の体験による意見ですので、一つの参考意見として読んで下さい。別の見解もあるはずです!)
Q:「様々な流派のレイキや、他のエナジー・ワークも学び、修了証等を取得しておいたほうが、レイキを仕事にする上で有利なのでしょうか?」
A:(辻 耀子より)
「これが『教師』であるとか『技術者』など、他のジャンルの仕事であれば、資格が有利に働く事もあると言えます。
ただ、ことヒーリング系ジャンルに限って見てみると、必ずしも人気を集める人が肩書きや資格を多く持つ人だとは限らないものです。
例えば、私がもしも体調不良や情緒不安定等で、癒しを求めて見知らぬレイキ・ヒーリングサロンを訪れてみようと思ったなら。
やはり最初は、めちゃくちゃ緊張します(笑)。ドキドキです。
そして一番心配になるのは、ヒーラーさんの人柄です。
『信頼できる人なのかどうか、安心感があるかどうか』。
まずそこが私にとっては非常に大事です。
人柄というのは、人間性(雰囲気、対応)のことです。
人格者であるとか、そういう意味ではないんです。
暖かい人であるかどうか、私を大切に扱ってくれるかどうかに関して、私はおそらく最初、とても不安を持ちます。
ですので私の場合は、例えばウェブ検索などした時にも、資格や肩書き以上に、文章や説明から受ける印象を重要視すると思います。
(ていねいな文章だなぁ、とか、文から暖かい人柄を感じられるなぁ、など。)
そして…。
いざそのサロンに訪れてヒーリングを受ける、あるいはレイキのアチューンメント講座を受けたとしましょう。
「私という一個人にしっかり向き合ってくれる人だなぁ」
「とても熱心に接してくださるなぁ」
と感じられた時には、非常に感激しますし、安心できます。
そんな人に出会ったならば、また行きたくなりますし、嬉しくなって友人知人にもその人の事を話すでしょう。
もしもそのレイキ師範(あるいはレイキ・ヒーリングを行なう人)がまだ駆け出しの新米さんであれば、応援したくてしょうがなくなります。
あなたの場合はどうでしょうか? ぜひ色々想像力を働かせて、イメージしてみて下さいナ。」
Q:「レイキトリートメントは、受け手側も、つづけると安心立命の域に達するのでしょうか。」
A:(辻 耀子より)
「これはとても興味深いご質問ですね…!
で、私なりの回答となりますが…。
う〜ん。どうでしょうね…。
ケースバイケースかもしれませんね。
まず、たとえば『自分の人生の幸・不幸のおおもとが自分にあるのだ、自分が発信源なのだ、全て自分に還るのだ』という事をすでに知っておられるかたの場合、トリートメントを受け続けるだけで意識の変化、進化が起こってくるかと思います。
けれども、そうではない場合、(私の意見をお伝えすると、)『ヒーリングを受けているだけでは、安心立命の域には達しにくい』と思います。
なぜなら、心理学的に見て、『ヒーリングを継続して受けたい』というタイプのかたの多くは、無自覚であれ、深層心理に『私の人生はひどい。それはあの人のせい(もしくはこの状況のせい)』という気持ちを持っているかたが多いからです。
(※もちろん、全員ではありませんが。)
もしも『私は自力で(今の自分の状況を)何とかできるほどの力がなく、弱者であり、被害者である』というような種類の自己イメージをもっている場合、『誰かに人生や運命を変えてほしい』という願望や期待も、より強くなるものです。
(どんな人であれ、心身や人生がしんどい時には、このような期待や依存心を持ちやすいものです。それは当然の事だと思います。また、多くの場合、その願望や隠れた依存心に気付いていないケースがほとんどです。)
安心立命の域に達するには、ある時点で『私の人生は誰も変えてくれない、私以外に変えられる者はいない。そして私は変えられる。自分の意識によって。』と悟る必要があります。
そして、『絶対的な幸せ感を手に入れるには、現状を受け入れるところからスタートするしかない。全ては自分の心がスタート地点なのだから、自分で変えて行こう』という覚悟と腹づもりが必要である、と。
このように私は考えます。」
(※これは、あくまでも私の個人的な意見ですよ〜!他の方は違う意見かも知れません。そして、違う意見もまた正解だと思います!)
Q:「安心立命の境地に至るための第一歩として、何かポイントとなる心構えなどはありますか?」
A:(辻 耀子より)
「安心立命の境地に至るためには、何を置いてもご自身にとっての『心地よさ』を知る必要があります。
人によって、何が楽しく心地いいか、何が好きで夢中になれるか、何に関心が湧くのかは、それぞれ違うからです。
自分らしくなければ、生きがいを感じませんものね。
命を立てる…とは、『どのような気持ちで限られたこの(人生という)時を過ごすのか?』という在り方と関係しますものね…。
次に、安心感を感じられる状況も必要です。
安心感を感じるためには、他者との間に『繋がり感』が必要です。
たとえ独りでいる時でも、心の中できずなを感じる『誰か』の存在が最低一人必要です。
(その『誰か』とは、たとえ亡くなったかたであっても構いません。絶対的なきずなを感じる相手であればOKです。離れて暮らしていたり、会えなくても問題ありません。)
最後に…。
先ほどの回答と重なりますが。
『私の人生は誰も変えてくれない、絶対的な幸せ感を手に入れるには、全ての現象や現状を受け入れるところからスタートするしかない。全ては自分の心がスタート地点なのだから、自分で変えて行こう。』
…この覚悟が必要だと私は考えます。」
Q:「全てのものが自分の波動共鳴で引き寄せられているのだとしたら、やっかいな人と出会ってしまうのも私が引き寄せている事になるのですね?」
A:(辻 耀子より)
「う~ん、究極的に、極端な事を言えばそれは正解なんですけど、もしもあなたが『自分が引き寄せてる』という事を意識したときに、『だからこんな自分じゃダメなんだ、変わらないと!』と思うのであれば、それは違うと思うんですよ〜。
(そんな事を言えばお釈迦さまでさえ、いわゆるやっかいな弟子と最期まで顔を合わせて暮していたそうですしね…。キリストとユダも然りですよね…(笑)。)
ともあれ、それは自分イジメというのか自責(自虐)というのか…自分を嫌う行為であり、これをやるとどんどん焦るし、自己嫌悪するし、安心立命とは逆の悪い方向へ行くんですよね…(^_^;)。)
そうではなく、そういう相手と出会った時に、『ああ、そういう態度を取りたくなる気持ち、何となく分かる…』『そういう行動をしてしまうには、相当つらいものがあったのかも…』という風に、相手の気持ちを推し量ることが出来たり、相手の立場に立って推測する事が出来るならば、その結果、自分の器を広げる事になるとも思えるのです。
例えば『私はレイキマスターだ』と威嚇するような態度の人と会ったとしましょう。
その時に、心の中で『ああ〜、分かる分かる、その威張りたい気持ち。私の心の中にもあるよ〜(笑)。
やりたくなるよね…』と思えたなら、けっこういいな、と…(笑)。
ビビッたり苛立ったりせずに、悠然とした心持で受け止める事ができたなら…。
さらには、威張ってくるその人が可愛らしく思えたなら『安心立命の境地』だというコトです。
(相手の態度に自分の心が揺れ動いてしまうのは、まさしく波動共鳴が起こっている事が原因じゃないですか。ならば、もしも相手の態度を見てもゆったりとしていられるなら、全くその人と波動共鳴していないというコトになるんですよね。)
なので、「みんなで楽しく、有意義な人生を楽しもうよ!」「ゴキゲンで穏やかに…そっちを目指していこうよ!」というのが、臼井先生が言いたかった教えだと私は思うのです♪
ですので、深刻にならず、ストイックになりすぎずに、レイキライフを楽しんでいけるといいですよネ。応援しています。」
以上、7連発で回答してみました。
これはあくまでも「私個人」の見解です。
(絶対的な正解だと思わずに、参考意見と捉えて下さいネ。)
そしてもしも「あ、この考え方いいな!」と思う回答があったならば「あなたにとってのお役立ち目線」で、いいとこ取りしてもらえると本望です。
ではまた…!(^^♪
今回のまとめ
安心立命に至る道は、安心感がありゴキゲンで軽やかな道なのです♪
by 辻 耀子