こんにちは♪
理事長の辻 耀子(つじようこ)です。
いかがお過ごしですか?
「誰かのせいで生きづらさを感じる」のは半分間違い
今日は「生きづらさの原因」というテーマで書いてみたいと思います。
さて。
世の多くの人は、嫌な気分になったり、傷ついた時に、
『誰かのせいで』
自分が嫌な気分になった、と思います。
(そして、それは「正しい答えだ」と信じています。)
『あいつのせいで…!』という以外にも、環境のせいで、収入のせいで、体調のせいで、政治のせいで、景気のせいで…などもありますよね…。)
たしかに、それは半分当たっていると思うんですよ。
が、半分は間違いです。
なぜかと言うと…、同じ出来事に遭遇しても、大きなダメージを受ける人と、ダメージが少ない人がいるから…。
で。ダメージが少ない人は、『生きづらさ』をあまり感じずに生きられるのです。(よね?)
一方、ダメージが大きな人は、『生きづらさ』を気にする人生になるわけです…。
「えっ?でも、誰でも、例えばいじめや 理不尽な目に遭うとか、不公平とか…事故とか病気とか。何かがあったら、傷ついたり不快になるのでは?…普通、そうでしょう?」
ですよね、ですよね。
私も、28歳ごろまでは、そう信じていたんですよ。
しかし、違っていました。
なんと、違うんですヨ~~。
なぜなら…。
考えてみて下さい。
世の中の全員が、同じ目に遭った時に同じ度合いで傷つく?
いえいえ、そんな事はないんですよね…。
例えば、東大卒の人に向かってどこかの子供が通りがかりに、「バーカ!」と言ったとしましょう。
言われた人は、心の中で、「…バカはお前だろ」と言い返すと思います。
そして、おそらく1〜2分間は不快でしょうが、すぐにその出来事を忘れると思います。
一方、同じ東大卒の人でも、どこかの子供から、通りがかりに「バーカ!」と言われて、グラグラになるほど傷つく人もいるんですよ?
どういう事かと言うと…。
この違いは、
『自分はバカじゃない、優秀だ』と信じているか。
それとも、
『自分は、本当はバカなんじゃないか?』と思い込み、悩んでいるかどうかの差からくるのです。
たとえば、2番目の人は、親から こう言われて育ちました。
「あ〜あ、あなたのお兄ちゃんもお姉ちゃんも東大・医学部なのに…。あなたは東大・文学部。医者になれないなんて、ホント情けないわね…」
このような言葉をしょっちゅう言われ、兄弟と比べられて育つと、知らないうちに その言葉の暗示にかかってしまい、『東大・文学部の自分はダメだ…』と卑下するようになるわけです。
生きづらさの決め手は自己イメージによる捉え方
さて。
この人がもしも、道を歩いていて 通りがかりの子供から「バーカ!」と言われた時には、どうなると思いますか?
おそらく、なかなか立ち直れないのです。
一週間たっても、ふとした時に その出来事が思い出され、不快な気分にさいなまれるかもしれません…。思い出し笑い ならぬ、『思い出し怒り』が起こるかもしれません。
(このたとえ話、「ええ〜!そんなバカな!」って思うかも知れませんが、実話なんですヨ!
実際に、10年くらい前、こういうかたがいたのです!
それは、私がカウンセラーをしていた時代の、心理カウンセリングの相談者さんでした。
(そのかたに了承を得て、今これを書いています。)
当時、27歳だったその女性。
お兄さん、お姉さんは東大・医学部。職業は医師。
両親も東大・医学部。職業は医師。
自分は京大・法学部卒。医師ではない。
…で、「医者になれなかった自分は頭が悪い…」人間失格だ、と、とことん自分を卑下し、苦しんでおられました。
どう思います?
客観的に考えたなら、京大・法学部はとんでもない学歴ですよね!
きっとこの女性も、学校や外では「すごいね」と褒められながら大きくなったはずです。
だけど、この人は、どこかの誰かにそう言われようとも、「ああ、私は頭がいいんだな」とは思えません。
この人の心には、賞賛の言葉は届かないのです。
それどころか「頭いいんだね」という褒め言葉が、嫌味や皮肉、いじめの言葉ように、…とてもつらい言葉に聴こえてしまったりするのです。
(※実はこれを、マインドコントロールによるトラウマと言います。)
この女性の例は 極端な例なので、「へぇ〜〜、大変だねぇ…」と思ったかもしれませんが…。
実際、褒め言葉や賞賛が受け取れなくて、「いえいえ、そんな!!」と、反射的に返事をしちゃう人っていませんか?
(ちなみに、私はそうなのです!(笑)。)
たとえばあなたの周囲に、「綺麗なのに、自分の事をブスでモテない」と信じてる人は いませんか?
スタイルが悪くないのに、いつも「私太いから…」と気にしている人はいませんか?
そういう人を見て、「ホンキでそう思ってるんだろうか?」とか「なぜあそこまで自分を卑下するんだろう?」と不思議に思ったことはありませんか?
(または、あなたがこのような事で悩んでいたりしませんか?)
何が言いたいのかというと、ここに関連している原因は『自己イメージ』なんですよね。
もっと言えば『捉え方』です。
ある出来事が起こった時、反射的に「どう捉えるのか?」…そしてどう反応するのか。
ここが人によって違うのだ…というのを最初にお伝えしましたが、その理由、原因は『自己イメージ』なのですよ。
客観的事実、ではないのです。
捉え方の差なのです。
(※客観的事実というのは、ここに100人の人がいたならば、100人ともが「そうだよね」というような事柄です。例えば、「辻さんの身長は159cmである」「辻さんは大阪に住んでいる」など。)
一方、「あの人は優しい」「あの人はモテる」「あの人は思いやりがある」「あの人は緑色が似合う」「あの人の髪の毛は男性にしたら長い」「あの人は頭がいい」などは、『捉え方』なんですよね…。
捉え方は、100人中100人の人が賛同しないケースがあります。
「いや、私はそうは思わない」と。
そして…。あなたの『生きづらさ』の決め手になっているのが、『自分の、自分に対する捉え方』なんです。
先ほどの、心理カウンセリングの相談者女性は、「自分は頭が悪い」と苦しんでいました。
だから家族からバカにされている。
だから両親から愛されない。
だから幸せになれない。
そして、
「私は自分に自信が持てません…。だから、いつも私は人の輪に入れません…」と苦しんでおられました。
他者がどれだけ「あなたは頭がいいよ?」「京大法学部なんてスゴイよ?」と言っても、ダメなのです。本人がそう思えないからです。
こうして、『自己イメージ』『自己評価』が低いと、無駄に傷つく場面が増えます。
誉め言葉でさえも、時には「嫌味」に聞こえてしまうため、本当に傷つく場面が多いのです…。
レイキで気分を整えれば、捉え方も変わっていきます
もしも、「私はもっと幸せになりたい」「今、本当に生きづらい…」と感じる人がいるならば。
自分以外の人が自分を傷つけるから…。
というケースもあるでしょうが、もう一つ、疑ってみて欲しい事があるのです。
それが、今回お伝えした事。
自分を、自分はどのように『評価』しているのかです。
そして、本当に、その傷つきと生きづらさを徐々に解除していきたいならば、まずは『事実』と『捉え方』を分けていく事。
ここからスタートなんです。
…当然ダメージが少ない人生がいいですもんね?
ラクだし、のびのびできる人生が…。
で。
ならば「そんな自分になっていこうよ!」というのが、臼井式レイキの真髄なのですね。
『自己イメージ』が低いせいで、いちいち外の出来事に対し、『条件反射』のごとく「ビクッ!」と反応してしまい、傷つくのではなく。
たとえ、一瞬は反応して「ビクッ!」となったとしても、出来るだけ短時間でそもそもの自分に戻る…、それが出来るようになっていくのって、ステキだと思いませんか?♪
そして、自分の気分は、自分で整えていくのです。
…日本伝統式レイキには、はじめに3つの『自己鍛錬法』が出てきます。
レイキを取り入れながら、ゆったりと心地よく呼吸法を行なうと、けっこう楽で簡単に『穏やかで調和がとれている自分』を取り戻せるわけです。
普段から穏やかでいられると、その人が醸し出す雰囲気が穏やかで、優しげで、落ち着いていてさわやかになってきます。
すると、周囲の人たちもその人を見て気分がよくなります。
そうすると 次に何が起こるのか…。
その人は周囲の人から好かれやすくなります。(醸し出す雰囲気が心地いいので。)
その結果、日々が穏やかで楽だし、周囲の人もいい感じ…という事が起こりやすくなるわけです。
もちろん、幸せに生きるために「お金を得る、健康を得る、極力人と会わずに生きていけるように、そんなライフスタイルを手に入れる…。」「そのために努力する…」というのも有効です。
でも、お金があっても健康でも、「毎日むなしい…孤独…何も楽しくない…」という状況ならば、ちっとも人生はおもしろくないはずです。
生きる意義が見つけられないかもしれません…。
だから私は「本当に欲しいのは、お金でも健康でも人間関係をよくする方法でもないはずです」と言いたいです。
その向こう側にあるものこそが、あなたが手に入れたいものなのではないでしょうか。
それは、大いなる安心感。
のびのびと、自分らしく居られる時間。
実は、それらを、まず先に、(今すぐに)手に入れてもいいのです。
それが『いい気分』です。
いい出来事があったからいい気分、何かトクしたからいい気分、ではなく、です。
…何となく、言いたい事、伝わっていますか?
最近、『予祝』という言葉が流行りつつあるけれど、あれが、まさしく『先にいい気分になる!』という原理ですよね。
自分自身を徹底的にいい気分にする。
その努力をすると、好循環の波に乗れるのです。
「辻さん~、言うはやすし、行なうはかたし。それが分かってても、実行は難しいですよ…」
はい、これが簡単じゃないことも、私は重々わかっています。
(だからみんな、苦しむんだよね…!)
でも、です。
私はこれにトライする価値と意義を知っています。
これにトライしない場合は、もう、神頼みしか残ってないのです。
「どうか、どうか、未来に起こる全ての厄災から まぬがれますように…!」
こんな風に神頼みし、拝みながら…びくびく怯えながら(まだやってきていない、さらなる不幸ばかりを、目を凝らして見つけようとしながら)注意深く、軽快しつつ 身を固くして生きていく事になっちゃうのです。
(のびやか・軽やかと、正反対の生き方ですね…。)
というわけで、今日の話をまとめます。
幸せに向かう道は、自転車の運転と同じだと思うのです!
見ている方向へ、車輪もハンドルも向くのです。
見ていない方向へは、自転車は進まないのです。
だから、恐怖やさらなる不幸を見ていると、もちろんどんどんそちらへ人生が向かっていくのです。
だから「どうしよう、どうしよう」とおびえながら、不幸のほうをみながら「そうならないように努力したり、対策を練る」という方法は、結構うまくいかないわけです。
…でも、大丈夫!
今ここを読み、ギクッとした人も、「でもどないせぇっちゅうねん?!」と思った人も、大丈夫です…。
あなたはもう、いい方向にしか進みません。
なぜなら、このカラクリを知ってしまったから。
知ってしまったなら、もはや「読む前」「知る前」のあなたには戻れないからです。
そうすると、あなたの心は(潜在意識は)「軽やかになるほう」を無自覚のうちに探し始めるのです。
『事実』と『捉え方』を確認しはじめるのです。
その先に、間違いなく「あなたが望む人生」「今よりも軽やかでのびのび出来る人生」が待っているのです。
あなたは大丈夫!そしてさらに軽やかなほうへ向かいます…!
それは間違いない事、約束されている事なのです…。
では、しっかり『夢、希望』のほうに目を据えて。
呼吸法で、深い呼吸をして。
穏やかな自分を心がけていきましょう…♪♪
今回も最後まで読んで下さり、嬉しいです。
応援も感謝します…♪
つじようこ でした!