目次
こんにちは、辻耀子です。
いかがお過ごしですか?
今回は、10年前に書いたメルマガの内容を、再びお送りしてみたいと思います。
(よければ読んでくださいマセ。前後編です。)
10年前の実話…世にも不思議な物語
実はつい先日、父が他界しました。
で、父が他界した時に、今まで経験した事のない不思議な体験をしたんです。
その事について、お伝えします。
『世にも不思議な物語』風のお話ですが、よければ読んで下さい。
実話です。
前置き:こんな方に読んでほしい
(前置き:この事を書くかどうか、実は相当迷いました。誤解を受けそうな内容だからです。かなりの勇気を出しました!
書いてたら長くなったので、今回は前編です。
…ちょっと暗いのですが、後編はハッピーエンドですので、ひとまず軽〜いノリでサラッと読んで下さると、とっても有難いです。)
※特に今、
- 人生について悩んでいる人
- 「何のために生きてるんだろう」という人
- 人生がつらい人
- 迷路に入り込んだような気分で過ごしている人
そして何より、
- レイキに興味あるあなた
(前置き、なが〜〜!)
亡くなった父への遠隔レイキから感じたヒビキ
では、改めまして。
つい先日、父が他界しました。
21年前、父が倒れて半身麻痺になって以来、闘病介護の生活が始まりました。
21年間に、入院12回、危篤16回、死の淵からの生還が16回。
人工透析が始まり、成功率の低い大きな手術を何度も繰り返し、目を悪くし、痛みと闘い続けた21年間でした。
まるで、マラソンのような21年間だったろうな…と思ったりしました。
苦しいからリタイヤしたくなる。
でも、「あと少し、あそこの信号まで…次の通りまで…」と思いながら、止まることを敢えて選ばずに走る事を選ぶ。
こうして走り続け、ついに完走。
ゴールを切ったラスト。
…そんな感じでした。
私も正直、何度 悲鳴をあげたい気持ちに襲われたか分かりません。
父の犠牲になっているような気分やドロドロとした暗い感情を抱えながら、ジレンマの中で過ごした時期もありました。
けれども今は、同じくマラソンを完走したようなスッキリとした気分です。
(意外と元気ですので、どうぞご心配なく♪)
父が亡くなったのは、夜明け前でした。
ですので私が父と対面したのは、死後4〜5時間ほど経った後でした。
父に向けて、遠隔レイキをしてみました。
すると突然、リアルに父の存在を感じたのです。ハッキリと。
ビックリしました…!
それはまるで、等身大の透明人間のようでした。
(※怖い話じゃないので、心配しないで下さい!!(^_^;))
透明な父は私のすぐそばに居るのです。明らかに気配を感じます。
(それはまるで生きている人が横に立っているかのような気配です。)
けれども私の目の前の棺には、すでに動かなくなった父の身体が横たわっています。
…さらに。
驚いたのは、この後でした。
父の『透明な身体』に遠隔レイキをしてみたら、明らかにひびきを感じるのです。
“痛み”のひびきでした。
(※ひびきとは:病腺や気の滞っている箇所があると、手のひらに感じる感覚の事です。
レイキを日常で使い続けていると、最初は全く気を感じられなかったりひびきに鈍感な人でも 何となく分かるようになってきます。その間、約半年〜1年です。
どんな人でも十中八九、ひびきを感じられるようになります。
ただしこれはもちろん、アチューンメントを受けた後レイキを楽しく使い続けた人の場合ですよ?(^_^;)。
やがて、さらに慣れてくれば、直接的なレイキ療法以外に、遠隔レイキを行なった場合にも、かなりリアルにひびきを感じられるようになります。)
透明人間の父からの届いたメッセージ
話を戻しますね。
ともかく、死んだ人に向かって遠隔レイキを行なって、『痛み』があるのを感じたのは今回が初めてだったので、私は驚かずにはいられませんでした…!
今までにも、友人や知人が亡くなる間際(または亡くなった直後)、その存在(=魂)に向けて遠隔レイキをしてみた事があります。
でも、いつだって、亡くなったかたの魂に向けて遠隔レイキをすると、何とも言えないうっとりとした深い深い平和な静寂を感じるものでした。
(軽やかで、ふんわりとしていて、暖かい静けさと拡がりを。)
間違っても痛みを感じた事など、一度もなかったのです。
ところが父の場合は、今までの体験とは全く異なる状況だったため、正直かなり慌てました。
「何なの?何で死んでるのにまだ痛いの?!」
私は心の中で軽くパニックになっていました。
すると…
“いつも寝ていた部屋を片付けてくれ。”
頭の中に、誰かが訴えてくるのです。
何とそれは、『透明人間のほうの父』からの訴えでした!
(決して、横たわっているボディのほうではありません。)
透明人間の父と私は、交信できたのです。
それはテレパシー会話のような感じでした。
言葉が頭に流れ込んでくるような感じじゃなく、もっと、ダイレクトに私の魂にメッセージが響く感覚です。
「えっ、えっ、どういうこと???」
…結果的に、私は戸惑いながらも、このお通夜の日からお葬式の後まで、『透明人間の父』とテレパシー会話(?)をする事になったのですよ。
父がずっと隣で上機嫌に一緒にいる
父は、実家の部屋を片付けてくれ、と私に訴えてきます。
父が時折退院してきた時の寝室には、最後の入院の直前まで使用していたインシュリン注射器や、大量の飲み薬等が置かれたままでした。
そこで私は、お通夜の準備の合間に実家に戻るなり、「この部屋を片付けるよ!」と母に告げました。
当然のことながら、母は嫌がりました。
「昨日から寝てなくてくたびれてるのに。そんな事は初七日が終わってから、ゆっくりやればいいじゃない」
けれども私は、「いや、今から片付けようよ!」と言うしかありません。
(『透明人間の父』がすぐ横でせかしてくるからです。)
そしてひととおりざっと医薬品等を片付け終えると、『透明人間の父』がホッとしたのが分かりました。
“やれやれ助かった。もう病気の事は忘れたいんだ。”
こんな感じです。
その後も父は、再びお通夜の席に戻った我々のすぐ『横』に居ました(笑)。
透明なボディの痛みは若干薄らいでいました。
そして、興味深そうに棺おけの中を覗き込んだり、気楽そうにあちこちを観て回っていました。
葬儀屋のかたが説明に来られた時も、横で一緒に説明を聞いていました。
(実に楽しそうでした。私ひとりが「みんな、父がここに居る事に気付いて驚いたりしないかなぁ」と、余計な事を考えながらハラハラしていました。)
母が不謹慎な事を言っても、もう父は不機嫌になりませんでした。
“いいんだいいんだ、かまわんかまわん。”
こんな感じで上機嫌でした。
父は正直どうしようもない人でした…
ところで実は、うちの父は正直、社会的にも性格的にもかなり残念な…、いえ、どうしようもない人でした。
家族を含め、多くの人に迷惑をかけ、傷つけたり、暴力や嫌がらせを繰り返し、それがあまりにも度を越していたため、身内にさえひどく敬遠され、親戚中から縁を切られるような存在だったのです。
ですので、全ての親類縁者から葬儀への出席を断られ、一族の墓に入る事も断られているような有様でした。
そのため お通夜の席にも集まったのは本当に…
本当に、
ほんとう〜〜に、
数えるほどの人数の、身内のみでした。
(それぐらい、人から嫌われ、恨まれるような事ばかりをしてきた人だったのです。
ぶっちゃけ、お葬式を出そうという人間が数名でも残っていたのは すごい事でした。)
正直、お恥ずかしながらこの私も、いくどもいくども、この父の元に生まれた事を悔やんだのです。
いい思い出など本当にない。
迷惑ばかり、傷つけられる事ばかり。
なのに、父と完全に縁を切るタイミングを逃してしまい、とつぜん父は寝たきりに。
見捨てる事が出来なかった。
そこから、まさかの21年。(私が20歳〜41歳まで。)
あの父の元に生まれなければ、きっと10代で起業せず、OLになっていたのではないでしょうか。
まさかビジネスをしたり経営者になる事なんて、思いつきもしなかったかも知れません。
また、働きすぎて20代で大病する事もなく、私の人生は全く違う人生だったんじゃないのか…。
馬鹿げた空想なのですが、分かっていてもこんな風に考えてしまう自分を、止められなかった時期は長かったんです。
あの父の元に生まれなければ、心理学を学ぶ事もなかっただろうと思います。
(28歳で心理学に出会い、「父を許す」という決意をするまで、私の心の中は戦場のように荒れ果てて、何をするにも疲れていました。
幸せというものが ろくに分かりませんでした。)
遠隔レイキを送らずに居られない自分
実際、父を心の中で許せてからは嘘みたいに心が穏やかに軽くなりましたが、父のふるまいと病状は相変わらずなため、日々のストレスは消えてくれなかったわけです。
(生前、父の入院中、病院関係者のかたにも父は随分と迷惑をかけました。介護ヘルパーさんも、あまりにも父のいじめがひどくて、どなたも半日と続かず、全ての人が泣きながらやめていく始末でした。)
母も介護で腰を痛め、しかもそれを長年私にも隠して我慢していたため、気付いた時にはどうにもならないほどのひどいヘルニアで立てなくなり…。
父が危篤だ、いよいよ危ない、という情報が病院からあるたび、どちらかと言えば「ああ、やっと終わるんだ…」という気持ちのほうが大きかったものです。
いつ終わるのか、いつ終わるのか…。
危篤から、父が奇跡の生還を遂げるたび、正直母親が落胆していくのが分かるのです。
私も、へとへとでした。(21年間は、長かった…!)
なのに、なぜか父に遠隔レイキを送らずに居られない自分もいました。
(本当に…何で毎回そうしてしまうのか、自分でも意味が分かりませんでした。)
そして毎回、危篤の翌日に起こる奇跡。
医師からのしどろもどろな連絡。
「いえ、昨日までは本当に…肺にも水が思い切り溜まっていて…内臓が全て機能不全になり…心臓が動いている事が奇跡で…。
なのに、先ほどの検査では、もう肺に全く水が溜まってないんです、ありえない話なんですけど本当なんです…!」
医師は必死に「誤診なんかしてませんよ!」と言外で訴えてきます。
「本当に昨夜は、親戚の方を集めていただくような状況だったんですよ…!」
純粋な愛情からではない、もう終わってほしい…
こんな事が、21年間に16回。
先ほど、『遠隔レイキを送らずに居られない自分がいた』とお伝えしましたが、当時、本当に、「何で毎回そうしてしまうのか?」と我ながら首をひねっていた自分がいたものです。
なぜなら決してそれは、純粋な愛情からなんかじゃなかったからです。
『あんな父でも、生きていて欲しくて…』
『やっぱり父親ですから…』
とここで書ければいいのですが、それを書くと、嘘になります。
そんな気持ちは、正直みじんも沸き起こってくれず、
「いつ、この闘病介護が終わるのか…」
「お願い、もう終わって…」
としか思えなかったのです。
(人間的に未熟な自分を感じ、自己嫌悪もしましたが、でもこれが当時の正直な気持ちです。)
こうして16回目、死のふちからの、奇跡の回復。
またもガックリと落胆する一方で、私は自分の心の奥底に、こんな気持ちが潜んでいる事に気づきました。
“父は、本当はこんなひどい人じゃないんだ。
本当はきっと私を愛してくれていて、だけど不器用にしか振舞えない人なんだ、本当は違うんだ、違うんだ。
いつかきっと父は私に謝罪してくれる、そして優しい言葉を掛けてくれるはず…!”
私はずっとずっと子供の頃から長い間、こう思い続けていたのです。
いくら頭では冷静な自分が「そんなはずないよ、父親はどうしようもない人なんだ。あれが本当の父親なんだ。」と言い聞かせても、深い深い心の奥底では、全然 諦めきれていないのです。
父親の愛情をこの目で見ることを、強く切望しているもう一人の自分がいたのです。
諦めきれなかったんです、一生に一度ぐらい、父から優しい言葉をかけてもらう事を。
だからこそ、私は父が危篤に陥るたびに、遠隔レイキを送らずには居られなかったのです。
(つまり、それは決して父への愛情からのレイキではなく、『自分はまだ気が済んでいない!本当の父を見ていない!』という執着と『いつかきっと!』という期待から湧き上がる行為でした。
(心理学を専門にしながら、お恥ずかしい事に長年私はこの事に気付かずに生きてきたのです。
本当に…自分の事となると、知らず知らず気づきたくない事には片目をつぶり、見ないようにしまうものですね…。赤面です。)
さて、その後、私にとっては本当にビックリするような出来事が起こります!
次回に続く…!
(余談ですが実は、なぜ父がこんなにも、何度も死の淵から蘇ってきたのか。
その理由も後になってから分かったんです。それも後編で書きますね。)
※【ご注意下さい】
今までの経験からお伝えしておきます。
レイキは、患者さん本人が強く「生きてやる!何が何でも!」と心底強い信念を持っている場合、劇的な(時にはミラクルが起こったかのような)鮮やかな結果をもたらします。
ただ、絶対に誤解しないで頂きたい事があります。
うちの父の身に起きた、たび重なる生還の奇跡は、『レイキを送ったのが私だったから』という事では決してありません。
レイキ・ヒーリングは誰もが練習をつめば、必ず行なえるようになります。
また、レイキ・ヒーリングとは、『相手の(患者さんの)自己治癒力のスターター回しをお手伝いする行為』であり、その後は相手の生きる気力や自己治癒力(自律神経の働き)によって、必要な結果が起こるのみです。
(魔法のような、万能の治療法や超能力なのだ…という誤解なきよう、お願いいたします。)
なお、ヒーラーがレイキ・ヒーリングによって誰かの本来の寿命を延ばす事や、不老不死を起こす事などは、もちろん出来ません。
(レイキによって、他者の命や運命をコントロールする事は、どなたにも出来ません。)
今まさにご家族が闘病中であるかたには、期待を砕くようで酷なお話かも知れませんが、どうぞ過度な期待をしないで頂けますように…。ヒーリングを行なう時も
また、レイキ療法を行なった後も、結果についてはただ『お任せ』の境地でいるのがベターです。)
今回も長いのに、最後まで読んで下さり嬉しかったです。
あなたの応援、心より感謝致します♪ 大好きですよ!
(ではまた次回、後編にてお会い来ますように。辻耀子より)
「父の想いとは?魂にも痛みがあるのはなぜ?
果たして真実とは?」
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by; 辻 耀子 (NPO日本レイキ協会)