理事長の辻耀子(つじようこ)です。
今日は、
「叶えたい夢があるが、一向に叶わない…」
もしくは「叶う気がしない」と悩む人へ。
めいっぱいの応援を込めて書きますっ。
子供の頃の私は、自分の親とも会話が出来ないほど人見知りでした。
友達が作れず、教室のスミで縮こまっていました。
誰かが窓ガラスを割ったら、私のせいにされました。
私は先生から叱られましたが、「やっていない」と言えないような子供だったんです。
(だから、いつも私のせいにされていました。)
当時の私の夢は、クラスで一番人気者の女の子にあいさつをする事でした。
でも、いつもドキドキして、「今日こそ…!」と思っているうちに1年が過ぎ、相手は私の名前を覚えてもいないまま、クラス替え。
また4月になり、新しいクラスの人気者の女の子にあいさつしようとトライしようとするが、
臆病すぎて行動できない…、そんな毎日でした。
(やっとトライ出来たのは、なんと中学2年の時です。そのクラスメイトの女子が、私にぶつかったのです。「ごめん!」と言われて、「う…ううん、いいよ」と蚊の鳴くような声で返事が出来ました。なんと、幼稚園から約10年…(苦笑)。)
その後も、クラスの女子と普通に会話が出来るようになりたいものの、いつも何を話していいのか分からず、常に心の中でドギマギと緊張していました。
誰かに向かってちゃんと「有難う」と声に出して言えたのは、17歳です。
その後、17歳の時に、右も左も分からないまま、ビジネスをスタートしました。
(人の3倍働きました。そして随分とお金を頂きました。)
親に向かって「NO」が言えたのは、28歳です。
それまでは、毎日毎日、「今日こそ!」と心の中でトライしようとするものの、言えずに苦しんでいました。
時間、呆れるほどかかりました…!
でも、毎日ホンキでした。
(人懐っこい性格の人には、「何で出来ないの?」と首を傾げるような事だと思うんですが…。私にとっては、非常に高いハードルだったんです。)
こうして今、講演やセミナー、ユーチューバーをしている自分は、子供の頃の自分にすれば「ありえないわ!」です。
アンビリーバブルなことなのです。
ともあれ、どでかい夢が一足飛びに、「ある日突然」という形で叶った事は、一度もないです。
いつも「小さな一段ずつ」の先に、最終の夢が待っています。
(お金だって、最初は1万円貯めるのがものすごく高いハードルでした。)
けれども、今ではもう、お金の心配とは無用の人生です。
その後も、大病で「手遅れ」と診断されましたが「治す!」と決め、奇跡的に助かる事が出来ました。
「医療のプロになる!」と決め、(最初は臨床心理士を目指してたんですが)ひょんなことから医師免許が取れました。
そして、20年ほど年前に持った夢。
それは、
「ただの人のまま、マザーテレサ級のことしたい!」
「海外の貧困地域にクリニックを造りたい!」
…いや〜もう、これは正直、周囲からホントに呆れられていましたよ…。
きっと当時、誰も本気にしていなかっただろうし、事実、どれだけ挫折とトライを繰り返したか。
(こっそりとトライし、ひっそりと挫折してました…(泣)。)
ところが、聞いて下さいっ。
とうとう2011年、インドで貧困層の人向けの無償のクリニックがオープンしたんですっ!
(やった…!嬉しすぎ!!)
(ただし、これは私の努力ではなく、インド支部の人達みんなのおかげなんです。)
その後、様々な理由によりクリニックは終了しましたが、やれた!という誇りやインド支部のみなさんとの絆は、今も胸に刻まれています。
そしてその体験は、私の次の扉を開いていってくれています。
まとめ
少しずつ、少しずつ、
「ちょっと背伸びしないと無理」という程度の、でも現実的な夢(=目標)を設定し、クリアしたら、階段を一段登り、また次の夢へ…。
こんな感じで、わらしべ長者の物語の「わら」のようにささいな、けれども現実的な夢を設定するところからスタートしてみて下さいナ。
あと、決して、歯を食いしばったりしないで下さい。
出来るだけ、楽しく軽快に♪ ただし、本気で真剣にトライ…です。
(楽しくとは、「いい加減に」「テキトーに」という意味じゃないですヨ。
めいっぱい命がけで!
でも、「必死」になっちゃダメなんです。必死の先には、失敗しかないからです。)
というわけで。
今後も階段を一段ずつのぼっていきましょう!
幸せ山へのハイキングを、楽しんでいきましょう!
応援と感謝を込めて。読んで下さりありがとうございました!
つじようこ