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なぜ、やりたいことが 見つけられなくなってしまったのか?

理事長の辻 耀子(つじようこ)です。
こんにちは!(^^♪

今回のテーマは、コチラ。
「やりたい事が見つからない」と言うテーマです。

あなたは、枠にハマった人生…と聞くと、どんな人生をイメージしますか?

自分自身について「枠にハマった事考えてるわ~」とか「枠にハマった人生だわ…」と感じたこと、ありますか?

今日のテーマは、ズバリ当てはまる人と、全然当てはまらない人生を生きている人とにハッキリ分かれそうなテーマですね。

そして…。
我々人間は、枠にハマった人生…、つまり「あまり変化のない人生」「自分の手に負える範囲の人生」を送るほど、やがて『固定観念』(=自分のものさし)に沿ってしか、物事を見られなくなります。

つまり、マイルールという『固定観念』に沿って、(その範囲の中だけの世界で)自分の未来や人生、「やりたい事」や「生きがい」を探すようになってしまうのです。

すると、「自分がやりたい事ってなんだろ?」と改めて考えた時にも、「やりたい事」じゃなく、

「それはできるかどうか?」
「それは常識的かどうか?」
「それは突飛じゃないかどうか?」

などに目が向いてしまいます。

さらには、

「それは親が反対しないか?」
「社会からヘンな好奇の目で見られないか?」
「みんながうらやむような正しい道か?」

という事まで考えてしまう人もいるでしょう。

こうなればなるほど、自分の作った【マイルール】と言う名の枠にがんじがらめになり、

「やりたい事」じゃなく
「やるべき事(=義務)」
「でも自分にとってはつまらない事」

「出来そうな事」
「でも、自分には無難で退屈な事」

しか思いつかなくなるのです。

これが、我々がいくら成功本を読んでもなかなか人生が変わらない真の理由です。

本の中に
「あなたの本当にやりたい事は、枠の中で考えてても出てこない。枠の外にこそ、やりたいことがあるよ!」
と書かれています。

けれども私たちは、『枠の外』の自分をなかなか見つけられません。

なぜだと思います?

…それは、本当は見つけるのが怖いからです。

『ルール』(枠、呪縛)を見つけるのは、とんでもなく怖い事なのです。

『ルール』(枠、呪縛)を認めるのはもっと怖いものです。

では、『ルール』を変える事は…?

そりゃもう、心臓が縮み上がるほど怖いのですよ。

だって…。

ルールを変えるという事は、『常識』というルールを破り、『非常識』な人間になってしまう…、人生の軌道が、大きく逸れてしまう…、そんなイメージと直結しているから。

後で「失敗した…!」と後悔しても、もう人生をやり直すことは出来ないのです。

(失敗が恐ろしく怖いのです。やり直すなど、もってのほかなのです。)

「そんな事をするぐらいなら…、非常識な変人になって、社会からはみ出して生きてみて、失敗して後悔するぐらいなら、立派ねぇ、さすがねぇ、よく頑張ってるわよねぇ、と言われながら平凡で退屈な人生を選びます…!」

私たちの深層心理は、こう主張しているのです。

(そうすると、そのような現実がやってきます。つまり、『平凡で退屈』な、または『常識的で無難』な人生が…。)

でも…。

平凡で無難な歴史上の有名人など、いるでしょうか?

才能と魅力に溢れた、平凡で退屈な人などいるでしょうか?

だから、我々の心は迷うのです。

「どうしよう…、非常識な成功者になるか?」
「それとも…、無難な今の人生を行くか?」

「出る杭になって、叩かれたくない…」
「人から嫉妬されたくない…」

「妬まれて、攻撃されるのは怖い…!」

実は、これらは全て、現実ではありません。

気づいて欲しいのは、ここなんです。
これらは全て、現実ではないのです。

全て、妄想の世界の事です。

どこにある妄想か、って?

我々の頭の中だけで繰り広げられている妄想に過ぎないのです。

私の、昔の体験談をお伝えさせて下さい。

私はずっとずっと、「常識的な人間でありたい」と強く思い、努力してきました。

そうすると「〜べき」「〜べきじゃない」という『マイルール』が、どんどん積み上がってしまいました。

周囲の人たちは、そのルールをカンタンに破って、楽しそうに生き生きと生活しています。

自分ひとりだけが、禁欲的にルールの範囲内で暮らしています。

そんな私が、この狭い『マイルールに縛られた世界』から飛び出すには、一体どうすればいいか?

それは、たった一つだけでした。

「ああ〜、私は相手に嫉妬している…!」

つらいけれど、そこに気づくことが、最初の第一歩だったのです。

「はい、私は間違いなく、あなたの持っているものが羨ましくて、ずっと欲しかったんです」
と降参して、認めてしまうこと。

それから、相手を「ズルい人間」の位置に置いて、見上げながら、悔しがるのをストップすること。

それは、自分自身が「勝手に、相手の被害者にならない」ということでした。

“相手は、ルールを作って私を縛った人間ではない。

ルールを作ったのは、ほかならぬ私自身だった…。

なら、自分の人生という王国のルールは、自分が書き換えればいいだけのこと。”

うははは~~(苦笑)。

今回のお話がビンゴだった方にとっては、「グサッ!」と心に矢が刺さってしまったかもしれません。

けれども、もしもそうならば、その矢はあなたを攻撃する矢ではなく、まさに「キューピッドがあなたに贈った、素敵な贈り物」かもしれません。

気づきたくない事に気付いてしまった瞬間は「イテっ!」となりますし、時にはプライドがグサグサになったりもしますが…。

これは、「痛キモ」でもあるのです。
足つぼマッサージのごとく、グリグリやられると痛いのですが、やがて、いい方向へと向かいだすきっかけの扉が、まさに開いた瞬間の痛みなのです。

今回も最後まで読んで下さり、嬉しかったです!(^^♪

次回は、「欲しいもの」「やりたい事」「なりたい自分」を見つけたのに、一歩が踏み出せない人の、心のカラクリについて書きますね。

このご縁に、感謝と応援を込めて…。
私への応援も、本当に嬉しく思います!

辻 耀子(つじようこ)


今回のことば

マイルールで自分をがんじがらめに縛り、「これでいいの、これで…」と言い聞かせる人生からは、もう脱出する時が来たようです。うひひ♪

by 辻 耀子