理事長の辻 耀子(つじようこ)です。
いかがお過ごしですか?(^^♪
今日は私のつぶやきです。
多くの方が「いいね!」を下さったSNS内容を よかったら ご紹介させて下さい。
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(独り言なので、いつもと文体が違いますが、その点はご容赦を。)
人類は現在、依存的に生きている人が多い
【不機嫌になった時、自分で自分をゴキケンに戻すに人が増えた時… 我々はやっと世界平和への舵取りができる。】
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生きていると思い通りにならない事がたまにある。
不機嫌になるのは、ごく自然な感情の動き。
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とはいえ、怒りをコントロール出来る人のほうが、精神的に自立できており、人生をこじらせずにすむ。
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幸せも感じやすい。
心地いい人間関係に囲まれやすい。
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つまり、怒りをコントロール出来ずにおもてに出す人は精神的に幼い。
こんな事は、みんな知ってると思う。
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ところが、昔の私は「怒ってる自分は、依存的なのだ」と気づいていなかったのです。
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(「は?どういう意味ですか?」とツッコミたくなった人もいるかもですが、このまま読み進めてもらえると有難い。)
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昔の私は相手に対し、怒りながら「反省しなさいよ!気づいて謝りなさいよ!」と心の中で吠えていた。
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今なら分かる。
私の心は依存的だった。
幼かった。
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相手には相手の事情がある。
しかし私は、相手や外の状況を変えようとして怒りを出していた。
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そこには「変わって欲しい。反省してほしい」という期待もあった。
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人類は現在、依存的に生きている人が多いと感じる。
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原始時代は、食糧確保も、崖から落ちないように気をつけることも、獣に襲われたら戦って対抗することも、何もかも全て 自分がやらねばならなかった。
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つまり、生活の責任は全て自分。
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生き延びられるかどうか、子供を守れるかどうかは自分に全てかかっていた。
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だから自立的に、自力で生きるしかなかった。
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現代は便利になりすぎて、私も「お金を払えば物や食べ物が手に入る」のが当たり前という感覚の中で、ずっと生きてきた。
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「いつも商品を誰かが作ってくれて、商品棚に並んでいるのが当たり前」になっていた。
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消費者=依存者である。
誰かの用意してくれたものを、お金と引き換えに受け取っている。
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「受け取っている」=依存している。
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しかし私は、自分が依存的に生きている事に、一向に気づいていなかった。
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信号機が24時間、いつでも機能していることさえ「当たり前」だった。
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電車が定刻で走っていることさえ「当たり前」だった。
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こうなると、「何でお店が開いてないの!」「なんで電車が遅れるの!」と、ささいな事で不満が湧く。
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「なぜ今日も信号機が動いているのか。
その後ろには、夜中も故障しないよう見守ったり、メンテナンスしてくれてる人がいるから」だ。
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「なぜ今日も電車が定刻通り走っているのか。
それは、多くの人が努力してくれているから」だ。
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しかし、昔の私はそこに気づけなかった。
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だから、電車が遅れると、いつも不平不満やイラ立ちを感じていた。
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ちゃんと動いてて当たり前。
ちゃんと動いてなかったら、不平不満。
腹を立てて、怒る。ㅤ
便利さの後ろにある愛、思いやり、恩恵
現代の人は、もはや原始時代を想像も出来なくなった。
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「縄文時代は愛に溢れてて素晴らしかったそうだね」
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そりゃそうだよ、原始時代は、自分の世話は自分でやるしかなかった。
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おなかがすいたら、ウサギを捕まえて殺す。
それをやらないと、自分も飢えるし子供も飢える。
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ドングリ拾っても、キノコ採っても追いつかない。
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だから「ウサギを捕まえて食べるなんてかわいそう…!」
などと言ってる余裕はなかったはずだ。
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我々のように、お腹がすいたらコンビニに行って、すぐさまポテチを買って満たすという事ができなかったのだから、おそらく何も食べられない日もあったと思う。
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というわけで…
昔の私のように、「多くの人の力や知恵に支えられて、コンビニにポテチを買いに行けるのだ」と気づいていない人のことを、「精神的に依存状態で生きてる人」と言っていいと思う。
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私はそんな人でした。
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なのに、起業してお金を得るようになったら「他の人よりも経済的に自立できてる」と思い、「精神的にも自立できてる」と勘違いしました。
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経済的な自立
精神的な自立
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実はここは、イコールではない。
全く別物。
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なのに、混同していた。
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それどころか、正直、起業して複数の会社を持ち、他の人よりも経済力がある自分を誇っていた。
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毎日、誰かが育ててくれた野菜を食べながら。
毎日、誰かが獲ってくれた魚を食べなから。
毎日、誰かが並べてくれた商品棚から、商品をレジに持っていきながら。
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綺麗に切り揃えられた、街路樹。
故障しない水道。
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それらの恩恵の中にうもれ、まみれ、山ほどの「愛、思いやり」を享受しながら、そこに目もくれず、
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「経済的に自立できている自分」を誇っていた。
そして、時に不機嫌だった。ㅤ
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しかも、仕事をしている人だけが偉いわけではない。
なのに、そこにも気づけていなかった。
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働く彼らのために、毎日家の中を整える人。
働く彼らのごはんを用意する人。
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家事や育児、小学生の通学の見守り、神社や公園のそうじ。
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お金が発生しなくとも、家庭内や さまざまな場所で
バケツリレーのごとく、愛と思いやりと親切は循環している。
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だからこそ私は、お店で商品を買う事が出来ていたのだ。
今日も電車に乗れて、旅にも行けるのだ。
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お金を稼げる力や、経済的自立は、「精神的な自立」とは関係ない。
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今現代は、「精神的に依存状態」の人が多すぎて、「やってもらって当たり前」。
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そう、これは昔の私の事だ。
だから電車の出発が数分遅れると 文句を言う。
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「やってもらってるのに、当たり前」。
だから、定刻通りに出発する電車に対し、感謝など1ミリもなかった。
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今、この便利な社会システムのせいなのか…
多くの人が「便利さの後ろにある愛、思いやり、恩恵」に目が向かなくなった。
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だから精神的に、幼い。
精神的に、自立できておらず、依存的。
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しかも昔の私のような「経済的に自立している人」もいるので、余計にやっかい。
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そういう人が組織のリーダーになるから、戦争や犯罪、理不尽やハラスメントが減らない。
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そして、目上の者や権力者から嫌な目に遭った人は、不機嫌になり、自分の不機嫌さを誰かにぶつけてうさを晴らす。
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不機嫌をぶつけられるのは、大抵の場合、家族だ。
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(しかも、弱い立場の人に向けられやすい。憂さ晴らしで殴られ、蹴られ、ののしられる。小間使いのように扱われる。)
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他には、友達に愚痴や不平不満を聞かせて発散する人も多い。
(昔の私も、よくやっていた。)
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たまに愚痴を言うのは、全然いいと思う。
けれども毎日言ってる人は、相手の時間を奪っている。
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つまり、相手の時間を…寿命を、残りの人生を「愚痴を言って発散するために」利用させて頂いている。
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相手が、自分の時間を使ってくれていたのは、…つまり寿命を、いのちを私のために使ってくれていたのは、紛れもなく「愛、思いやり」だった。
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なのに昔の私は「聞いてくれて有難う」という言葉さえ、伝えていなかった。
レイキを通じて、すでにある恩恵に気づく
★そろそろ人類は、自分のゴキゲンを自分で取らなければいけない。
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そのための便利な手法として、私はレイキの活用が最適だと思っている。
レイキは「スピリチュアル・ヒーリングである」という認識がまだまだ根強いが、私はそれは「序の口」だと思っている。
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実際私は、ヒーリングのために、レイキを使う事はあまりない。
もっぱら、自分の機嫌を整えるために使っている。
東洋医学には「病は気から」という言葉があるように、ㅤ
気が全身に満ちると、自然と心も整うものだ。
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しかも、小学生でも出来るほどカンタンで、
瞑想よりもてっとり早い。
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慣れてくれば、10秒あればいける。
才能資質も関係ない。
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(※ただし、コツを掴むまでの練習は必要。これは自転車や自動車の運転、PC操作やお料理と同じように捉えて欲しい。)
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つまり「ヒーリングもいいけど、自分で自分の機嫌を戻すのに、日本伝統式の自己鍛錬技法を使ってみて」とおすすめしている。
正直、精神的に自立すれば、人生の問題はどんどん、スルスルと片付いていくものだ。
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自分らしさが内側から溢れてくる。
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何より、山ほどの恩恵を受け取って生きてきた事がハラに落ちる。
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それを実感する日が山ほど増える。
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今の私は、マンホールひとつ見ただけで、その造形の美しさに感嘆する。
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下水を作った人、マンホールをデザインした人、材料を運んだ人、美しく加工した人、そしてここに設置してくれた人。
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その全ての人の中にある愛、思いやり、知識、技術、体力、責任感に感嘆する。
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縄文時代を 安易に褒め讃えてる場合じゃない。
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子孫の我らに、その意識が流れてないはずがないのだから。
そう、その事を思い出す時が、まさに「今」なのだと思う。
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豊かさの中で、目くらましの術にあってる場合じゃない。
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盲点を、もう一度見直そう。
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どれほどの恩恵にまみれて、私たちは生きているのか。
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亡くなる時に「次に生きる人は、どうぞ飢えないで、崖から落ちないで、安全な旅を楽しんで、心地いい人生を…!」
そう祈ってくれた多くの人たちの想い。
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それが、いま
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整えられた街路樹に
毎日使えている水道に
今日も開いているお店に
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溢れている。
溢れまくっている。
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どこか遠くにいる神の恩恵ばかり探してる場合じゃない。
見えない神のメッセージばかり求めてる場合じゃない。
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目を開いてみれば この地上には すでに恩恵と祈りのメッセージが形をなし、山ほど存在している。
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私達はこんなにも、恩恵にまみれているのだ。
今回のまとめ
地球上で、川に透明な水が流れている国は ほんの僅か。
しかし、茶色い水を飲んだことがなければ その事には なかなか気づけないものですね…。
by 辻耀子