こんにちは~!(^o^)
理事長の辻耀子(つじようこ)です。(^o^)
いかがお過ごしでしょうか?
安心立命の特徴とは、自分の身体に対する愛と感謝
さて。今回は
「上級で出てくる『安心立命』の境地ってなあに?」
というテーマです。
『特徴』と見分けポイント解説・第5弾でーす♪
ではまず、安心立命の説明から。
“安心立命(あんしんりつめい)”。
それは、悟りの境地とも言われ、至福とよろこびに満ちた心の状態(在り方)です。
臼井式レイキの終着点、目指すところは、安心立命のよろこびを味わいつつ『自分らしさを開花させ、幸せに生きること』。
「のびのび、軽やか、感謝が湧きあがり、心地いい人生」がレイキの醍醐味であり、テーマですよね。
さて。こういう風に説明すると、
「辻さんっ、そんなのムリに決まっています!(>_<) 24時間365日、心穏やかに全くハラも立てず過ごすなんて、そんな芸当、自分には出来ません!」
「昨日もハラを立ててしまいました…、こんな自分はダメです…せっかく上級まで学んだのに、ちっとも日常に生かせていません…(涙)」
と訴えてこられる人がいます。
…あの、ちょっと待って下さいっ。
そんな超人的なワザは、この私にもムリですって!(笑)。
365日、いつも安心立命の境地で過ごす事など、創始者の臼井氏にも、歴史上のどの人物でもムリだったでしょう。
空のお天気にもバイオリズムがあるように、人の体調や心にもバイオリズムがあるので、24時間365日ずっと、など、土台ムチャな相談なのです。
それを踏まえた上で、「安心立命の時間が少しでもあったらステキな人生♪ もしもその時間が長ければ最高の人生♪」と考えてみて下さいネっ!(^o^)
★安心立命の特徴・その5
『自分の身体に対する愛と感謝』
ところで質問ですっ!
あなたは、自分の身体、好きですか?
「もっとここがこうならなぁ…」
「ここのお肉が…ううむ…」
「もう少し背が高ければ(低ければ)…」
「もう少し手足がスラーッとしていたら…」
「小顔になりたいな…」
「う~ん、我ながら超モンゴロイドな “平たい顔族”だな…もっと凹凸のある顔ならば…(苦笑)。」
と意識する人もいるでしょう。
…さて…。
子供の頃、(特に10代の頃)自分の外見にコンプレックス(劣等感)を抱いた経験、ありませんか?
私はもちろんありますよっ!(えっへん。)
身体的な造りもコンプレックスでしたが、それ以上に、肌に…。
なぜなら私は、すさまじいアトピーっ子だったのです。
(かきむしりすぎて、髪の毛がおでこからてっぺんまで薄くなっていたほどです。眉毛はもちろん一本もありませんでした。)
アトピーが原因でからかわれた事はありませんが、「ヘンな子だ」という理由では、ずっと いじめられていました(苦笑)。
で、クラスの中に、アトピーが理由でいじめられている男子生徒もいたので、常に「今度は自分がターゲットに?!」とビクビクしていたものでした。
「ああ、こんな風に生まれなければなぁ…」
何度もそう思い、ため息をついたものです。
ともあれ、私に限らず10代というのは、誰もが多かれ少なかれ『外見へのコンプレックス』や、(そこまで行かなくても、アイドルタレント等と自分を比べて)「もっとこうならなぁ」という想いを抱きがちです。
大人になってからも、なかなか自分が好きになれない人もいるでしょう。
大人になってから、体型や外見に自信がなくなってきた人もいるでしょう。
他には、私のアトピーのような病気やケガ、外傷。
他には…身体の痛み。
それらに悩まされ、自分の身体を嫌ったり、ついつい「こんなじゃなければ…!」と攻撃したくなる人もいるでしょう。
『安心立命の境地』にいる時、この劣等感はスッポリと消えうせてしまいます。
なぜなら、『この身体は自分のものであって、でも自分で作っていない』という深い認識(=悟り)があるからです。
「へっ?自分のものであって、でも自分で作っていない…? また辻さん一休とんち話みたいな事言って。」
…エヘヘ(苦笑)。
ホントですね、まるでとんちです。
…が。これは生物学的な話ですっ。
(何度も言いますが、私、理屈屋さんなんですっ。昔、エネルギーやレイキを感じられず、全く信じられなかった頃は、胸を張って堂々と「科学で証明された事しか信じないからっ!」って豪語してましたからねっ(笑)。)
何気ない平凡な日々に「ありがたさ」を感じられる境地
…話を戻しますっ。
とんちじゃないんです、今から一緒に、事実の検証をしてみましょうヨ♪
“…私達の身体は、どこからどこまでが自分なのか?”
私は街育ちなので、今まで一度も
『自分の食糧を自分で採った(獲った)』
という体験がないのです。
(あなたはどうですか?)
家庭菜園さえしたことがなく、つまり、365日朝昼晩「誰かが育てたり、獲ってくれたもの」を口にしています。
そして、数十年が過ぎてしまいました(笑)。
ある日私は、はたと気付いたのです、
「ををっ!私のこの身体。…原料は全て、どこかの誰かが作ったり獲ってきてくれたものじゃないの…!」
私がやったこと。
それは、「食糧を口に運んだこと」だけ。
…なんと…!
一度も作っていない!育てていない…!
ぜーんぶ、国内や海外の誰かが種を撒いたり家畜を育てたり…。
海で釣ってくれたりしたものを、
365日×(3回+おやつ)×年齢分、
食べ続けてきたのです…!
ひゃああああ…!!!(驚愕!!)
す、すごい回数ですっ!
電卓叩いて、手が震えましたっ。
…で、ですよ。
おそらくあなたも、おおむね私と同じじゃないかと思うんですっ。
仮にあなたが農家や畜産家、あるいは漁師であったとしても、あなた以外の人が育てたりしたもの、めっちゃ食べてません?
「という事は…。私は、他の誰かが用意してくれたもので出来ている。」
…私は何一つ、自分で自分を作っていない…!
ぜーんぶ他人任せ…!
しかも、全世界のありとあらゆる人たちが育て、作ってくれたものが、“私の原材料”なのでした。
「いやぁ…。そう考えると、自分ってどこからどこまでが自分なんだろ?」
そんな事、はたと思いました。
確かに「身長がもっと高ければ、顔が平べったくなければ、アトピーじゃなければ、 夜中に髪の毛を掻きむしってしまわなければ…この眉毛がないのがヤンキーっぽいんだ…」などなど、気にしだせばキリがないのですが、それ以前に、
「自分で自分の身体、作ってないしっ!」
「身体の原材料、ぜーんぶどこかの誰かに作ってもらってるしっ!」
…そして、その結果、心臓が動き、胃腸が動き、血液が作られ、いのちが保たれ…。
「うぉぉぉ…!き、奇跡的っ!ミラクル…!」
だって、一度もいのちの炎が途絶えてないんですよっ!
何度か心配停止したけれど、また持ち直しているわけですっ!
日々、落ち込んだり悩んだり、「もうしんどい、生きてる意味も意義もわかんないよ…」とぼやいたりしながら、私は片手にせんべいを持って、ため息つきつつ、同時にバリボリと食べていたのでした。 ←←←(^_^;)。
…で、いのちが今日まで続いておるのですっ!
こんな奇跡について、今からそう遠くない過去のある日、私ははたと気付いたのでした。
“安心立命の入り口。それは、何気ない平凡な日々に「ありがたさ」を感じられる境地である。”
(by 臼井式レイキ創始者・臼井甕男)
「うおおお…!悩んだり落ち込んだり、もう嫌だ…!とか言いつつも、日々がこうして続いている事自体が、す、すごくない?!」
ここに至るともう、「もっと身体のここがこうだったら、とか、アトピーで…、とか、生え際が頭頂まで後退している…」とか、そのどれもが小さな事に思えたのでした。
コンプレックスや悩みを凌ぐ、圧倒的な「す、すごい…!」という感嘆。
私は、私一人では生きていませんでした。
私は、自分の食べ物を何一つ調達できておらず、今までの人生、100%全ての食事を、「どこかの誰かが育ててくれたもの」でまかなってきたのです…!
しかも、私の胃や腸は、私がどんなものを口にしようとも、文句も言わずにせっせと消化し…。
肝臓はどんな原材料でも文句を言わずにエネルギーに変えてくれて…。
心臓さんは、毎日過酷過ぎるほど残業続き。
土日も働きづめですが、今まで一度も私に文句を訴えもせず…。
「うわ~、何と出来た方々だろう、 臓器さんたち…!!」
(笑)。
…すみませんっ、ちょっとヘンな人みたい?
でもね、あなたが一口飲んだお水、あなたの細胞くんたちは「うっしゃあ~~!」と張り切って、せっせせっせと栄養分として取り込み、せっせせっせと新陳代謝し、どの筋肉も、いつでもスムーズに動かせるようにと、色々配慮してくれてるんですよ~。
細胞くんたちは、いつもあなたの味方。
あなたが『生きやすい方向』へ向かえるように、たゆまぬ努力を惜しまないのです。
…けれども昔の私は、彼らの仕事ぶりに、いつもイチャモンを付けてました。
感謝どころか「やってもらって当たり前」。
で、「うるぁぁ…!アトピー治さんかいっ!」とか、
「何でかゆくなるの…!」と嫌い、
「汚い肌!汚い髪の毛!」と嫌い、
「平たい顔!」「短い手足!」と嫌い…。
いやぁ、お恥ずかしい。
ともあれ、今の私は、もちろん「もっとここがこうならなぁ…」とか、相変わらず思っていますが(爆)、それ以上に「365日、ミクロレベルで起こっている奇跡」と、細胞くんたちに、愛しさを感じずにいられないのです。
そして、その細胞くんたちはどこから来たの?と考えると…。
まだ会った事もない、(そしておそらく、一生会わないまま終わるであろう)全世界の、農家、畜産家、漁師の人たちに「私を作ってくれて有難う」と思わずにいられないのです。
TV番組で映っている外国人を観ながら、
「もしかして、あの人が作ったもの、私食べたことあるかもな~♪」
な~んていう妄想を膨らませることもあります。
そして、その人が作ってくれたものが、今、私の身体になっているのです。
さて。
『安心立命の境地』は、子供の頃には不可能な境地なのだと、以前にお伝えしました。
なぜなら…。
そう、子供の頃には、一つだけ、なかったものがあるんです。
それが、感謝の心です。
私は子供の頃、何を与えられても『当たり前』でした。
そして、大人になってからも、まだまだ『見落としポイント』があったわけなのでした。
…特に、人生がつらく苦しかった頃は生きる意味も見出せなくなり、「ああ、死んだほうがマシ…」と思っていましたし、実際、あのつらかった頃の自分が、今日のこの内容を読んだなら、余計に気分が悪くなり、何、この能天気な内容は!」と、途中で読むのをやめていたでしょうね(苦笑)。
もうね、能天気とかお気楽な人見るたび、イラッと来てましたからね。
…でも…。
でも、それでも、苦しかった当時読んだ本の中に、今回のような事が書いてあったのを、ボンヤリと記憶しています。
当時の私は「何だよもうっ!」と怒りながら、しかも、書かれている意味も、意識が未熟すぎて把握できないながら、それでもずーっと「書かれた意味」について、考え続けていたのかも知れません。
だから、ある日「ポンッ!」とハラに落ちて、そこから人生が至福の方向へと方向転換出来たのかも知れません。
…ですから、今日、もしも理不尽でつらい試練の境地の真っ只中におられて、この内容を読んで「あなたは恵まれてるから、そんな事が言えるのよ!」と、イラッときたかたへ。
イラッと来たまま、そのままでいいのです。
ムリに感謝しようとなんか、しなくていい。
(無理して感謝などしないで下さい、自分にだけは嘘をつかなくてもいいんです。)
あなたが苛立つのには、理由がある。
私はあなたの全てを理解出来ないかも知れないけれど、苛立つ心境は、分かる気がするんです。
だから、今はそれでいいんですよ。
きっと、頭のすみに、この能天気な内容がインストールされたから。
ここからあなたの心の中で、今までとは違う花の芽が吹き出すんです。
種はちゃんと持ってますから。
幸せの種を。
以上です。
今回も最後まで読んで下さり、本当に有難うございます。
また次回で~す♪
この後も、あなたとあなたの大切な人に、幸せが光のシャワーとなって降り注ぎますように。
★「手当て、上達したいけど相手がいない」そんな人のために、練習の場をご用意してますよん♪
(レイキラボは、アチューンメントを受けた人ならば 誰でも予約可能です~♪)
今日のまとめ
「安心立命の特徴・その5は『身体への感謝』♪」
by; 辻 耀子