生きている限り、感情はついて回るもの
理事長の辻耀子(つじようこ)です。(^o^)
さて。今日は
「上級で出てくる『安心立命』の境地ってなあに?」というかたに向けた、安心立命の『特徴』と見分けポイント解説・第4弾でーす♪
レイキを学びたてのかたも、レイキを知らないかたも、今からご説明する『感覚』を体感した事があるかたは、きっと多くいるんじゃないでしょうか。
ではまず、安心立命の説明から。
“安心立命(あんしんりつめい)”。
それは、悟りの境地とも言われ、至福とよろこびに満ちた心の状態(在り方)です。
臼井式レイキの終着点、目指すところは、安心立命のよろこびを味わいつつ、『自分らしさを開花させ、幸せに生きること』。
「のびのび、軽やか、感謝が湧きあがり、心地いい人生」がレイキの醍醐味であり、テーマですよね。
さて。こういう風に説明すると、
「辻さんっ、そんなのムリに決まっています!(>_<) 24時間365日、心穏やかに全くハラも立てず過ごすなんて、そんな芸当、自分には出来ません!」
「昨日もハラを立ててしまいました…、こんな自分はダメです…せっかく上級まで学んだのに、ちっとも日常に生かせていません…(涙)」
と訴えてこられる人がいます。
…あの、ちょっと待って下さいっ。
そんな超人的なワザは、この私にもムリですって!(笑)。
365日、いつも安心立命の境地で過ごす事など、創始者の臼井氏にも、歴史上のどの人物でもムリだったでしょう。
だって…考えてもみて下さいよ、アナタ。
腹痛に苦しんでいる時に「穏やかで至福だな~♪」と思えますかっ?
私にはムリです。
痛くて痛くて、それどころじゃないですもん。
(こんな時に「ああ~お腹が痛い…至福~♪」なんて…ありえませんもんねっ(苦笑)。)
そしてそれは、体の不調や痛み以外に、心の不調や痛みを感じているときも同じなんですよ~!
…という事は?
そうですっ、空のお天気にもバイオリズムがあるように、人の体調や心にもバイオリズムがあるので、24時間365日ずっと…など、土台ムチャな相談なのです。
それを踏まえた上で、「安心立命の時間が少しでもあったらステキな人生♪ もしもその時間が長ければ最高の人生♪」と考えてみて下さいネっ!(^o^)
★安心立命の特徴・その4
『ドラマに気付いていること』
「はぁ~っ?辻さん、ドラマに気付いてる? 何のこっちゃ?意味が不明ですよ!」
…すみません(苦笑)。
ドラマと言っても、TVドラマの事ではありません。
私達の日常で起こる、様々な出来事の話です。
ドラマとは? の前に、「私達の感情の元になるもの」からお伝えすると、分かりやすいかと思います。
私達は日々、色々な出来事に遭遇し、そのたびにハッピーになったり感激したり、よろこんだり、苦しんだり、悔しがったり、怒ったり、泣いたりします。
で、時には「もうこんなしんどいの、イヤだ…!」「何のために生きてるんだろう、分からない…」と落ち込む日もあります。
また、迷いの中で「自分の本心が分からない…、自分がこれからどうしたいのかが見えない」「自分がやりたい事が見つからない…」と悩む日もあります。
(もちろん私にもあります!(笑)。わはは。)
で、興味深いのは、臼井式レイキの上級講座で『安心立命』を学ぶと、落ち込む人がいるのです。
それは、教えを学び、「よ~し!今日からは怒らず、心配せず、感謝しなければ!やるぞ~♪」
と張り切ってトライしてみるものの、実際、うまくいかないからです。
「ああ、今日もまた怒ったり心配してしまった…」
「他人の言動にいちいちイラッと来てしまった…」
「そんな自分って、つくづくダメだな…」
と、つい自分を責めてしまいます。
いや、ちょっと待って下さいっ!
生きている限り、感情はついて回るもの。
死ぬまで、感情は消えてくれません。
でも、何となく…。
『悟った人』や『安心立命な人』を思い浮かべてみた時、「感情のコントロールがカンペキに出来ている人」をイメージしません?
「いつも沈着冷静、穏やか、静か」なイメージを持ちません?
で、ああいう風になりたいな…と憧れたりしません?
ああいう風になれたら、人生さぞかしラクだろうな…と思う人もいるはずです。
…けれども、どうしても、日々の出来事の中、私達は何かのきっかけで「感情のスイッチ」が入ってしまうのですね。
これは、『感情』の波に飲み込まれている状態です。
この時、私達は我を忘れます。
すると、
「キレる」「気がついたら殴っている」
「気がつけば怒鳴っている」
「気がつけば泣きわめいている」
というような事が起こってしまうのです。
(そこまで激しくなくとも、冷静さを失い、パニックになったり、頭が真っ白になってフリーズしたり、緊張しすぎてへんなことを あたふたと口走ったり…。)
「うわ~、辻さん、これがいやなんですよ…!つい かんしゃくを上げてしまったり、駄々っ子みたいにすねてしまう時もあるんです」
「落ち込んだら最後、這い上がれなくなる事があって…。どうしようもなくネガティブな考えから抜けられなくなるんです。」
そうですよねぇ、本当に。
(気持ち、分かります…!)
だからこそ、我々は
「いつも、何があっても沈着冷静で落ち着いている穏やかな人になりたい」
と思い、そういう人に憧れるのですから。
人生とは、ドラマの舞台で生きるようなもの
では、どうすれば『心安らかな状態』を出来るだけキープできるのでしょうか?
(ちなみにこの時間が長いほど、結果的に『安らかで、穏やかで、心地いい状態』になりますよね?これぞ安心立命の状態♪)
そのためのキーワードが『ドラマ』です。
(このまま読み進めて下さいネ。今から説明していきますので。)
私達の感情は、必ず『何かのきっかけ』によって動きます。
そう、スイッチが入るのです。
『何かのきっかけ』とは、『起こった出来事』です。
そして、この出来事こそ『ドラマ』です。
つまりあなたの日常生活は、あなたの『ドラマ』の舞台なのです。
この舞台では、あなたが主役の時もあれば、あなたが脇役として「誰かの問題」で悩んだり、誰かのために振り回される事もあるでしょう。
いずれにせよ、そう考えると、人生そのものが『ドラマ』とも言えます。
しかも、『ドラマ』と『感情』はセットなのです。
(逆に言えば、『ドラマがなければ、感情は動かない』という事です。)
と言う事は、『感情の元』となるものは、ドラマだ、と言えませんか。
「そ、そんな…。それじゃ生きている限り感情に振り回され、終わりがない事になります」
「生きているという事自体、もうすでに日常のドラマの中にいるのなら、どうすれば心穏やかにいられるんですか?!」
「自分以外の人の言動に振り回されてばかり…。もうそれが嫌なんです。ウンザリなんです。でも、感情を動かさずにいる事は不可能なんですか?」
「自分は穏やかにしていたいのに、家族や職場や、色んなしがらみが私の人生にうるさく関わってくるんです!」
「かと言って、誰とも関わらずに無人島で生きる事も出来ないし…」
そうですよねぇ。
そうですよねぇ…。
いや~分かりますよ、分かりますよ…!
では、逆転の発想をすると、どうでしょう?
『日常=ドラマの舞台』
『ドラマの舞台=人生』
つまり、
『人生=ドラマを演じるようなもの』。
その上で、
「どうすれば感情を揺さぶられずに済むか?」
「どうすれば感情をコントロールできるか?」
ではなく、
「人生とは、ドラマの舞台で生きるようなもの。」
とハラをくくってしまうのは?
(この提案、どうです?)
レイキで自分を満たせば、自然と安心立命へ
…というわけで、今から今日のテーマである、
『幻想ドラマに気付いていること』に話を移しますよ。
「ドラマに気付いていること」。
それはつまり、『感情がなければ、ドラマは生まれない』と気付いていること。
もしも自分に感情がなければ、人生は単なる『出来事の連続』に過ぎない、と気付いていること。
そして…。
感情が動くというのは、つまり単に、『きっかけに反応しただけ』。
『反射的な揺さぶりを感じただけ』という事に過ぎないのです。
そもそも、感情に揺さぶられやすい人というのは、『感情=自分』だと思い込んでいます。
(いえ、そう信じています。)
すると、「今怒っているのが自分」「今泣いているのが自分」という具合に捉えてしまっています。
(それで普通です。)
また、迷いの中にいる時には、「どの想いや考えが、本当の自分?」と、一生懸命『真の自分の心』を探そうとします。
けれども、もしも『自分』が『自分』を見つけられたとして、それは本当に『自分』でしょうか?
あなたはどうやって、自分の心の目で、『自分』を見つけますか?
もしも『自分』が『自分』を見つけたとすれば、その時、自分は2人いる事になってしまう。
(これは大きな矛盾です…!)
…つまり、自分の心が、自分を見つけようとして、「見つけた!」と思ったものがあるとすれば、それは『幻』なのです。
自分が、自分を見つけることは、決して出来ないのです。
そこには『何もない、それ』が存在するだけです。
(ここまでくればもう、言語を使って説明出来ない感覚の領域に入っちゃいます。そのため、マジカルな言葉遊びのような表現になってしまいました…!)
…というわけで。
深い瞑想状態に入った時、あなたはもしかしたら『何もない、それ』(が存在していること)に、偶然 辿り着いた事があるかも知れません。
あるいは、深い精神統一を行なえた瞬間、心が完全に凪いで、明鏡止水のような静けさに到達した経験があるかも知れません。
その時、誰もが『何もない、それ』を捉える事が出来るはずです。
もしもこの感覚を、人生の中で一度でも体験してしまえば、もう知らなかったことには出来ません。
その時、体験者は『幻想のドラマに気付いてしまう』事になるのです。
そうなると、何が変わるのか。
昨日と同じ日常の中で、不思議なことが起こります。
相変わらず、日常を生きていれば、様々な『きっかけ』によって感情のスイッチが入り、喜怒哀楽に心が揺さぶられるわけですが…。
感情を感じつつ、同時に「感情を眺める」という事が出来るようになるのです。
「ああ、今回はこんなドラマか…、へぇ~興味深いなぁ」というように。
(「怒りながら同時にケロリとしている」とか、「落ち込みながら同時に面白がっている」とか、そんな自分の感情を眺めていられる状態です。)
(これを俯瞰状態 ふかんじょうたい と言いますね。)
おそらく、あなたはこんな人と出会った時に、よもやその人の感情が(その時に)揺れている事など、全く見抜けないかも知れません。
(若い頃の私は、「なんと平然とした人だろう!」と感心したり、「感情のコントロールが出来る人だなあ」と驚き、感激し、尊敬したものです。)
けれども、今ならば判ります。
その人も感情を感じていないわけではありませんし、感情が揺れるのを止めることも出来ません。
ただ、その人は、『感情』が自分そのものだ、とは思っておらず、自分の作り出す『幻想ドラマ』のカラクリにも気付いているので、「感情を味わいながら、同時に静かに眺めていられる」のです。
その様子が、他人から見れば、まるで「感情がブレない人」のように見えるのです。
「ひぇ~!辻さんっ、そんなのムリムリ!」
「体験してみたい!だけど、到底自分にはムリな気がします!」
ありゃ、そうですか?
じゃあ、こんな方法はどうですか?
まず、自分の心が満たされた状態を目指すのです。
(※繰り返しになりますが、24時間365日、など目指さないで下さいよ? その状態の時間は、たとえ3分でも5分でもいいのです♪)
そのために、レイキで自分を満たしてみて下さいナ。
心がゆるみ、ほんわかと解放されて、満たされたいい状態になります。
その時、事実、あなたは安心立命の境地にいるのです。
(何も頑張らなくても!努力しなくても…!)
これなら、出来るのでは?(^^♪
安心立命の境地にいる時、あなたは『迷っていない』ですし、『冷静』なはずです。
(もちろん、感情はあります。感じています。けれども、イライラクヨクヨとは無縁のはずです。)
「ああ~有難いなぁ…、ほっこりするなぁ。」
こんな感じで、穏やかになるはずです。
我々は、心が満たされている時、同時に『不平不満』を感じる事など出来ません。
だから、勝手に『至福』の状態になるのです。
もしもこの状態のあなたを、別の誰かが見たならば、
「何といい雰囲気と表情をしているんだろう…神々しいほどだな…」
「穏やかで、ゆったりしていて、美しくて、いい感じ…♪」
「ああ、あんな風になりたいなぁ」
と思うでしょう。
レイキ療法は、療法としての使い道の他に、あなたが至福を感じ、心満たされて、安心立命の感覚に入れてしまう。
その目的も果たすのです。
(…これが、『上級講座』で伝えている『レイキ療法』の醍醐味なのですね。)
我々はレイキに満たされた時、思考よりも感覚のほうで、安心立命の感覚に浸(ひた)ることが出来るのです。
そして…。
「知ってしまった至福」は、もはや「知らなかった」事には出来ませんよねっ♪
そのような訳で、私は『レイキ療法』をやってもらうだけで安心立命の境地に辿り着けるなんて、てっとり早くてラクちんだし、便利でいいぞ~~♪と思っているのです。(^o^)
今回のお話は、以上ですっ。
最後まで読んで下さり、本当に有難うございます。
この後も、あなたとあなたの大切な人に、幸せが光のシャワーとなって降り注ぎますように。
今日のまとめ
「安心立命の特徴・その4は『ドラマに気付いている事』♪」
by; 辻 耀子