真の生きる意味とは、たったこれだけのこと。
“幸せに生きる道をとうとうをみつけた…!”
こんにちは、理事長の辻耀子(つじようこ)です。(^o^)
いかがお過ごしですか?
今、『真の生きる目的(と到達地)』について書いています。
ではこのテーマの最終回・スタート!
─────(第1~3回までのあらすじ・ここから)─────
「ああ、今までえらそうに生きていた…。」
毎日、他のモノのいのちを食べながら、『もうイヤ』とか『ヘトヘト』とか『自分は充分頑張ってるのに報われない』とか。
不平不満を感じては、『生きる意味なんかない!』と怒って、心の中でかんしゃくを上げていた。
かんしゃくを上げながら、自立して、誰にも頼らずに厳しい社会の中で、踏ん張って生きているつもりでいた。
「…とんだ勘違いだった…」(赤面)。
…粋がり、いっちょ前のつもりで生きていた自分。
でも実は、お釈迦さまの手のひらの上に乗ったままだった、『孫悟空』のようだった自分。
「誰にも頼らない!頼っていない!」
「それが立派な生き方だ!」
とずっと思い込んできたけれど…
そもそも、私は自立などしていない!
まっっっったく、自立など出来ていない!
森羅万象のお世話になり、(つまり依存して)生きていたのに、そこを無視して「誰にも文句を言われたくない!」と主張していた…。
ガーーーーーーーン( ̄□ ̄;)!!
その情けなさに気付いた時、ご褒美が目の前に現われました。
さらなる素晴らしい、『究極の気付き』が待っていてくれたのです…!
それこそが、『真の生きる目的』でした。
※第1回ブログ
※第2回ブログ
※第3回ブログ
───────(最終回・ここから)────────
…さて。
『真の生きる意味』とは?! (ドキドキ…!)
「つ、辻さんっ、じらしすぎっ!
忙しいんですっ、早く言って下さいっ!」
おっと失礼しましたっ!ではお伝えします!
それはあまりにもシンプルで、あっけないものでした。
「生(=いまここに在る事、在るもの)を、楽しみ味わうこと」。
たったそれだけだったのでした。
過去の自分は、ずっと正反対の事をして、変わろう変わろう、良くなろう、とやっきになり、もがいてきました。
「あれがない、これがない、…不十分…!」
何かから逃がれたくて。自由になりたくて。
「こんな状態はしんどい!」と。
つまり「ないない、ないない…! ないよ、あれもこれも足りないよ、不足してるよ」と。
自由になるために、誰かに勝とうとし、自立しようとし、自分自身を守ろうと壁と作り…。
次に「まず自分が変わろう、成長しよう」という努力を始めたのですが…。
これがまた、やっかい。
今度は自分自身の不十分なところを探すクセがつき、余計に自己嫌悪と劣等感を強め、何かあれば「自分はまだ変われていないのか」と落ち込み…。
「まだ未熟、器が足りない、知識が足りない、努力が足りない、ないない、ないない…!」
「もっと頑張らないと、もっとやらないと…」
「もっと前向きに、もっと行動的に、もっともっと…」
「いつになったら楽になるの…?安心立命ってどれ?」
とまぁ、こんな状態だったのですが。
「ああ、違う、全然違ってた…!私は反対方向の努力をしていた、ずっと、真理と反対の方向を見ていた!」
「今日、この瞬間、私のいのちを支えてくれている存在に目を向けるだけでよかった…!」
何と、あっけない事か。
真理は、真逆の方向に、コロンと、存在してました。
私はずっとずっと、安心立命の境地とは、『今とは違う、立派な自分』になれた時に(=変われた時に)、ご褒美みたいに味わえる境地だと信じていたのですが、全く違いました。
それは、すでにありました、自分の中に。
“私は、他の存在の『いのち』で出来ている、作られている…!”
全細胞が、他の存在のいのち…!
この、森羅万象の循環、いのちの巡り、宇宙システムが『頭』による理解ではなく『ハラ』に落ちた途端、安心立命の境地が、その感覚が、噴水のごとく湧き上がって来たのでした。
(それは、「今、ここ」にずっと在ったのです。あっけないほど、すぐここに。自分の全細胞の中に…!)
あったやんか~~~~~!!!!!
私は今、この世に、この世界にいる。
ろうそくの炎は消えずに在る。
ずっと、多くの支えがあった。
そして今、多くの支えがある…。
うわ~!うわ~!
嬉しい!!
これこそが、大安心の境地。
キラキラした光が噴水のように溢れ出る…!
光の水しぶきが、ハラの底からどんどん、どんどん溢れ出る…!
この時が、意識がシフト(変革)した瞬間でした。
(★この視点の変化が日本伝統式レイキ・上級で出てくる第三のステップです。『自己変革』。)
そして同時に、『人生の真の目的』もやって来たのです。
「あれがない、これさえ手に入れば…」
そう考え、「足りない、足りない、ないない」というナイナイモードの人生から、「あれもあった!これもあった!あるある!」というアルアルモードの人生へ。
アルアルモードにシフトチェンジした途端、おなかの底から感謝が溢れ、どんどん溢れ、噴水みたいに噴き出すのです。
ああ、そっかそっか。
『在る』よろこびというのが、これか…!
そっか、私はこれを楽しみ味わうんだ。
それこそが『今、ここに在る』という事…!
それが人生の目的…!
「わ~、すごい!!(^o^)心底嬉しい!」
「…しかも私、動植物や酸素、太陽光や水だけではなく、多くの人たちの手にも支えられてるぞ…!」
私の周囲に何でも在る!色んなものが在る!すごい数のものたちが在るのです…!
周囲を見回すのが、さらに嬉しくなってきました…!
気付きが連続して起こり始めました。
ドミノ倒し状態です。
考えてみれば私は、一度も会った事もない、知らない人たちにも地球の裏側に住む人たちにも、ガッツリと支えられていました。
「おおっ!それもスゴイ!(^o^)」
きっと私は、今ここを読んで下さっているあなたにもお世話になっていると思うのですよ、直接&間接的に。
あるいは、あなたのご両親の仕事によって生み出されたものを、私は得て、食べて、使ってきた可能性もあります。
あなたの大切な人や、あなたの親戚、あなたの友人の仕事によって生み出されたもののおかげで、私はこうして生きてきたのです。
いや~、もう!
だからあなたに「スゴイよ!!」しかないのです…!
あなたを生み育ててくれた人に、あなたのご先祖に、「有難うぅぅぅ…!」しかないのです…。
だって私、あなたのご先祖が作ってくれた道路を何度も何度も歩いていますよ。
絶対に。
「アルアルモード」で生きていこう
…というわけで。
本当に、改めて自分の人生を振り返ってみれば、少し前までの『ナイナイモード』の自分は、何だったのか。
(※不安や焦りに駆られ、「あれもない、これもない、才能がない、知識がない、お金がない、時間がない、健康じゃない…」と心の中で呟いている心の状態。これを「ナイナイモード」と私は名付けました。)
とにかく、目が開いていたのに何も見えておらず、起きていたつもりが、まったく覚醒していませんでした。
(目を開けていたのに、見えていなかったんです、無視していたんです、多くの人たちの事。)
どこかの誰かがずっと、生き物の種を撒き、育て、刈り取り、あるいはバラバラに解体し、トラックでスーパーやお店に運んでくれていた。
(今までずっと。夜中もずっと。なのに気付いていなかった。)
どこかの誰かが24時間、水道の蛇口から水が出るようにし続けてくれていた。
(年末も、お正月もずっとずっと休まずに。なのに私は、「水道水は危険だ」とか「水道水はマズイ」と平気で言っておりました…。)
電車だって、定時通りにホームに到着して当然。
「お金を払ったんだから、乗るのは当然!」って思っていました。
「ああ、気付いてなかった…、何と傲慢な孫悟空だったのか…。
私ってば、情けない…。」
ハッ、違う違う、それは違うよ…!
確かに私は、自分だけで生きてなどいない。
でも、それは情けない事ではない。
その真実は、宇宙のシステム。
宇宙の流れ。
その真実に、「情けない」というジャッジは不要…!
確かに私は、ひとりじゃ生きてこれなかった。
他者の手助けが要る。
これからもずっと要る。
でも逆に、私がここに『在る』事により、すでに他者の役に立っているのも歴然とした事実。
なんと!私が排泄するモノでさえ、他の生き物の役に立っているのだ。
こちらの事実も、見落としちゃいけない。
「取るに足らないこと」と、ジャッジしちゃいけない。
なぜなら、それが宇宙システム。
その真実に、批評や批判や賞賛も不要…!
「感謝してもらいたい」さえ不要…!
それだけが、真実でした。
ああ、そっか。
私が人生を賭けてやる事は、『何かを獲得するために、やっきになる事』などではない。
…なぜなら全部、最初から用意されている。
私が生まれる前からある。
そして今この瞬間も、みんなが支えてくれている。
…私は世の中に対してずっと怒っていたから、その事に気づきたくなかった、認めたくなかった。
理不尽な出来事に対して怒っていたから、真実を無視していた。無感覚になっていた。
そして、不足しているもの・不十分なものに目を向け、「ナイナイモード」で歯を食いしばりながら「変わろう、変わろう」として生きてきた。
でも、そうしなきゃやっていけないほど、しんどかったんだもんなぁ…。
そして、今日まで頑張ってきたんだな…。
(そんな自分ってカワイイな。)
世間を見回してみれば、私と同じナイナイモードで生きている人たちがいっぱいいました。
「成長しなければ、自分が変わらなければ、この問題は解決しない…」と、必死に努力している人もいっぱいいました。
(※↑これは正解なんですよ!でも、ナイナイモードでこれをやると、皮肉なほど努力が報われないのです。心も体もたましいも、疲れてへとへとになるのです…。)
「ああ、しんどいな…。しんどかったな…。だけど、そうしなきゃやってられない時期ってあるもんな…。」
「自立したいんだ、誰にも迷惑掛けずに生きてる、誰かの役に立ってる、他の人より頑張ってる、って言いたいんだよなぁ…!」
「ハッ!!今気づいた!私達って、無自覚のうちに、ナイナイモードで生きていきなきゃ立派になれない、って間違った思い込みをしているかも…」
「だって、アルアルモードを感じたら、怠けて何もしなくなりそうだもの…。廃人になりそうな恐怖がある…だからナイナイモードで自分を追い詰め、頑張り続けようと努力するんだ…」
「分かる、分かるよ~~!ホント、そうだよね…!」
(ううう…、みんなすごい。みんな愛しい。みんな本当にすごい。)
(私は、ナイナイモードで努力しているみんなに言いたい…!私はあなたに支えてもらって今日までこれたよ!私だけじゃなく、あなたの大切な人を含む森羅万象が、あなたが今ここに『生きて存在する』事で循環してるよ?)
(あなたってすごいんだよ?あなたが思う以上に偉大だよ…!)
あなたは「安心立命の入り口」に立っています
ここまでの話をまとめます。
つまり、
「なぜ、生きているのか?」
「生きる真の目的は?」
導き出される答えは、たった一つしかない。
「今、ここに在ること。
そしてすでに在るものを味わい、よろこび、楽しむこと…。
自分がすでに『在る』事を、心底味わいつくすこと…。」
全人類全般に共通する、究極的な『生きる目的』は、それ以外に考えられないのです。
確信を得た瞬間でした。
私は現象界(=この世)を生きているんだ。
だから現象界の、『アルアルモード』の醍醐味を今、味わっているんだなぁ…。
もちろん、本当は、すべて一つ。
繋がっている。境界線などない。
けれども、個別であり、バラバラなように感じつつ生きる事により、「よろこび合い、分かち合う」というさらにダイナミックな醍醐味が生まれる。
人生に、自分らしい味が出せる。
自己実現も出来る。
ああ、なるほどなぁ…。
興味深いなぁ。
私は、せっかく『ナイナイモード』に気付いたんだから、もう、他者を無視するのをやめよう。
無視して『ナイナイモード』で生きるのをやめよう。
無視せず、心の目を見開いて『宇宙の真実』を内観してみれば…。
そこに、依存への感謝が見えてくる。
いのちが輪になり、絶妙なバランスで依存し合い、取り入れては、形を変え、循環し、別のいのちと融合していく…。
自分が吐き出したものが、次の存在に貢献している。
森羅万象、全てのモノが依存し循環している。
ここに目を向ければ向けるほど、気付けば気付くほど、ちっぽけな自分が愛しくなり、宇宙の循環が愛しくなり、有難さのほうが圧倒的に大きくなり…。
熱いものが自分を飲み込み、胸が締め付けられたのでした。
自分の内側に、大きな『宇宙のゆりかご』が…。
安心感がありました。
「それにしても…。よく頑張ってきたなぁ…、私って。」
「たくさん回り道もしたけれど、そのお陰で大切な事に気付けたなぁ…。」
「他の人たちも、すごく頑張ってきたんだなぁ。その人なりに、精一杯もがいてきたんだなぁ。」
「今も頑張り続け、努力し続けている人がいるなぁ。でも、それでいい。みんなカワイイ。努力も楽しい。」
「怒りのせいで心が凍ってしまい、間違いを犯す人もいる。悲しい。だけど、その気持ちも分かる…。だから彼らを責める事は出来ない。”罪を憎み、人を憎まず” だなぁ。」
「自分だけが勝って、他者よりも優位に立とうとやっきになっている人もいる。…あれは昔の自分だなぁ。虐げられて悔し泣きしながら、ハングリー精神に燃えた過去の自分の姿だ。あの時の自分も、愛しいなぁ。」
「全てこれでよかった。これでいいんだ。地球は常に、変化のプロセスにある。そしてこのプロセスは完璧なのだと、今なら解かる。」
最後に。
…私は、自然と、食べ物を頂く前に
「あなたのいのちを私のいのちに変えさせて頂きます」
と、心の中で唱える事が出来るようになりました。
本当に、なぜか自然と。
(後から知ったんですが、「いただきます」という言葉は実際、本当に、元々「あなたのいのちを私のいのちに変えさせて頂きます」という言葉が、短くなったものなんですって。)
恥ずかしい話、それまで、ろくに「いただきます」さえ言わずに食べていたんですよ。
たとえ「いただきます」と口に出しても、心が伴っておらず口先だけでした。
(食べる時の、スタートの合図のような?)
やっとやっと、心の底から
「あなたのいのち、頂きます」
「もらったいのち、今日一日、大切にします」
「そのために、ムダにせずていねいに生きます」
と思えるようになった自分がいたのです。
今では、「いただきます」と唱えるたびに、あったかいものがお腹の底からボワンと湧き出るようになりました。
いかがでしたか?
すでにこの気付きに到達しておられるかた。
(素晴らしい!あなたの周囲の人達、すごい恩恵の波紋を受けていると思います…!♪)
「何となく頭で知ってたよ?」というかた。
「分かってても感謝が沸き起こらないんです(泣)」というかた。
「何だかよく分からない話だったなぁ」というかた。
間もなくですね…!
カラがパリーンと割れて、中からものすごく繊細な、一輪の美しい花が姿を現すのです。
弱くて繊細で赤ちゃんみたいな、守ってもらわないといられない花。
…どんな花かな?
楽しみですね…!(^o^)
全て、全て…今どんな状況であろうが、何にも問題ないのです。
もしも「安心立命の境地、今すぐ感じてみたい!」というかたは、可能な限りゆったりと、心地よ~くお過ごし下さいナ。
心地いいひとときの中、誰かへの感謝を感じられたならば、上出来…!
(その時、あなたは間違いなく、安心立命の入口に立っています♪たった1分でもいいのです!)
今回も最後まで読んで下さり、本当に有難うございます。
私が今日、ここにいるのは、読んで下さるあなたの『存在』があるからこそ、です。
有難いなぁ…。嬉しいなぁ。
ではまた♪
”国境なきレイキファミリー”の一員であるあなたとの このご縁に、心からの感謝を込めて…。
つじようこ
(当協会は、流派系統を超えて全世界のレイキ実践者の学びを補助する組織です。)
今日のまとめ
「真の人生の目的は、今、ここに在ること。そして、すでに在るものを味わい、よろこび、楽しむこと。自分がすでに『在る』事を、心底味わいつくすこと…。」
by; 辻 耀子