“驚愕の気づき! 私は、宇宙や地球と同じものだった…!”
不平不満から自己受容へ至った私の歩み
こんにちは、理事長の辻耀子(つじようこ)です。(^o^)
いかがお過ごしですか?
前回から、『真の生きる目的(と到達地)』について書いています。
では、スタート!
─────(第1回・第2回のあらすじ)─────
「私は、人生の目的が知りたい!」
…私は長年、こっそり悩んでいました。
過去の私は表面だけを取り繕って、経済的に自立した華々しい人生を送りながら、本心では「もう嫌だ…」と、ヘトヘトに疲れていました。
「○○を手に入れたら幸せになれる!というようなところに真の答えがない事は、もう嫌と言うほど知った…」
「でも、どうしていいのか分からない…。だからいつもと同じように、頑張り続けるしかない…。」
ところが。ある日落ち込みながらごはんを食べている時、えらい事に気付いてしまったんです。
「誰にも頼らない!頼っていない!」
「私は人を信じない。一人で生きていく!それが立派な生き方だ!」
とずっと思い込んできたけれど…
─────もしや、全然違うんじゃ?(冷汗)。
だってそもそも、私は自立などしていない!
まっっっったく、自立など出来ていない!
我々人間は、どんな状況であろうと、たとえ社会的強者(勝者)であろうと、社会的弱者であろうと、その状態に関わらず、全員が、『依存して生きている』生き物なのです。
…何に?
森羅万象に。
他の人達に。
親や祖先(DNA)に。
(これが、うっすら気付いた瞬間でした。)
ガーーーーーーーン( ̄□ ̄;)!!
私は自分を見誤っていた…!!
私は全然強くない!
本当の自分は弱い!
情けないほど弱っちい!!
自立など、ない。
自立など、そもそもない。幻想に過ぎない…!
(★これが日本伝統式レイキ・上級で出てくる最初のステップです。『自己認識』。)
これが、私の大きな転機となりました。
ここから私の人生観は、一変するのです…!!
鮮やかすぎるほどすさまじく…!
※第1回ブログ
※第2回ブログ
─────(第3回・ここから)─────
…ちょっと今、思い浮かべてみて下さいませんか。
でっかくて丸い地球の上に、アリんこみたいにくっついてる、一粒のゴマのようにちっぽけな、ひとりの人間の姿を。
(それが私ですっ。)
オギャーとこの世に誕生した瞬間から、私は存在するために、他の存在の手を借りなければならなくなりました。
私は酸素がないと生きられないのです。
食べ物がないと生きられないのです。
水がないと生きられないし、人がいないと生きられない。
色んなものに囲まれていないと、寂しくてどうしようもないのです。
なのに、その事に気付いていなかったので、タダで手に入るものは、厚かましくどんどんもらってました。
そこに感謝など、まったくありません、もちろん。
そして、「お金、お金、お金が必要…!」と、いつもお金の事ばかり考えていました。
生きるためには、「必要なものは買わないと」と信じ、「仕事して、お金を払えばモノは手に入る。だから働くぞ」と、当然のように思っていました。
食べ物、衣服、家、ケータイ代金、電車賃。
服も、家も、ケータイも、電車も、何一つ自分でいちから作り出したものなんて、ありません。
全部、どこかの誰かが工夫して作ってくれたものでした。
なのに、「お金ならちゃんと払うよ?」な~んて。
「お金さえ払えば手に入る」と信じており、働いてお金を得て自立している事が立派な生き方だと思い、生きてきたのです。
タダで手に入るものについては、価値を無視。
酸素も太陽光も土も、友人からのささやかな気遣いも…。
そこに大した価値を感じていませんでした。
そして、「私は自分で生きている。誰にも文句は言わせない」「人なんて信用できない、うっかり信じたら偉い目に遭う」と、大きな顔をして生きていたのです。
うおおお…!!!(赤面)
こっぱずかしい…!!
「は?辻さん…。意味不明を通り越してますっ!」
「…辻さん、何かを手に入れるのにお金を払うのは当然でしょう?そのために働くのは立派な事ですよ、それが何か悪いんですか?」
「酸素がタダなのも当然でしょう?辻さんだけじゃなくみーんな吸い込んでますよ、タダで!」
こう思われた人もいるかも知れません。
そう、それが常識。
それが正解です。合ってますよ!
(私も長い間、そう信じ込んでた!)
でも…。
よくよく考えてみれば、そもそもこの地球上に食べ物や水が存在していなければ、どうです?
存在していないものは、お金で買う事なんてできないのですよ~!
「はぁ~? ナゾナゾですか?この話は!」
…いいえ。
宇宙の真理の話です。
空と色の話です。(←般若心境に出てくるお話ねっ。)
「うわ~、お金があれば食べ物や水を買えると思っていた!」
「違う!それは違う!」
もしも、酸素や他の生き物や水がこの世に存在していなければ、私はいくら大金を差し出そうが、それらを得る事など、そもそも出来っこないのです…!!!
こうして、私がこの世に存在するためには、24時間、酸素や水や太陽光…森羅万象によって支えられる必要があるのです。
それらがなければ、私は今ここに「居ない」のです。
私のいのちは、明日も続くことが当たり前に思えるけれど、実に危うい。
だって、いのちのろうそくの炎は、何か一つでも欠けるともう、吹き消えてしまうのです。あっさりと。
「酸素がなければ、たった5分で吹き消える。
水がなければ、たった3日で吹き消える。
太陽光がなければ、そもそも食べ物が育たない。
…つまり、私の命の炎は、あっけなく吹き消える。」
私はこの人生の途中で、何度も運命を恨んできました。
何てツイてないんだろう!と、お天道様(おてんとさま)も恨みました。
親に対してイライラし、先生に対してイライラし…
世の中の理不尽さや不公平さにイライラし…。
不完全で未熟なこの世、争いの絶えないこの世、思い通りにならない人生に、心底辟易(へきえき)していました。
毎日、ヘトヘトでした。
頑張っても頑張っても、何かが足りない…。
漠然とした不安感が消えてくれない…。
意味もなく焦っている。
何かに怯えている。
それを打ち消すように、忙しくする。
幸せそうに笑っている人たちを見ながら、恨みがましい気持ちを抱いたこともありました。
「あなた達はいいよね、お気楽で!楽しそうで!」
と、心の中で世間のみんなに八つ当たり。
何かが失敗したり、期待はずれだったりするたびに、
「私はもう疲れたよ…。ここで人生終わったら楽なのに…。もういつ死んでもいいや…。」
「誰も生んで欲しいなんて言ってないのに、何で生まれてきたんだろう。この世はしんどい…。ああ、何で生きてるんだろう…。」
…そう思いながら…。
そう思いながら、私は常に『何か』を口にしていました。
酸素を。水を。他の生き物のいのちを。
(つまり、「生きる」「存在しつづける」ための行為をし続けていたのです。無意識的に。感謝もなく。厚かましく。)
そのおかげで、私のいのちの炎は、消えずにずーっと、灯り続けていたのです。
(なのに、「もう嫌だ、しんどい、死にたい」と思っていたのでした。)
「うわ!全部、もらっていた!死にたいと思いながら、空気吸わせてもらってた!タダだからバンバン吸ってたよ~!」
「…酸素も水も植物も動物も…最初からあったから、存在していて当たり前、と思っていた…」
「ああ、私は、自力で生きてなどいない。私は森羅万象に依存しなければ、そもそも生きていけない…。」
「真実は、ちっぽけで情けない存在…。でもこれが自分。真実の自分の姿…。」
情けなかった…。
ガックリきました。
同時に、壮大すぎる宇宙の営みと流れが、目の前に大きくハッキリと、姿を現した瞬間でした。
(★これが日本伝統式レイキ・上級で出てくる第二のステップです。『自己受容』。)
宇宙にある全てのモノは、自分のいのちを差し出し合い、循環している
自立しようと、自立的であり続けようと、必死で歯を食いしばって生きていました。
他人を「怖い!」と思ってからは、余計にそうなりました。
「誰にも頼っちゃダメだ、信じきっちゃダメだ、また騙される、えらい目に遭う…」
だからこそ、「お金を貯めないと!」と思いました。
誰にも、何にも頼らずに生きられるように。
みじめな思いをしなくて済むように。
…ところが、私の真実の姿は、『森羅万象に依存して、ありとあらゆるものに、いのちを炎を灯し続けてもらっている存在』でした。
ふと、懐かしい事を思い出しました。
「食物連鎖。小学校の時に学んだなぁ…。」
酸素や水や太陽光、動物、植物、微生物、細菌、バクテリア。
“植物は酸素を出し、動物は二酸化炭素を出す。”
“腸内細菌は腸があるから生きられる。
腸は、細菌の助けによって食物を消化する。”
“我々が死んだら、腐る。微生物が我々を土に還す。
その土から、植物が生まれる。”
「あれっ…!という事は…?」
ちょっと待てよ?
依存して生きているのは、人間だけじゃないのでは?
今度は、私は人間以外のものにも想いを馳せました。
”地球上に存在するさまざまなものは全て、他の存在のいのちによって自分のいのちを支えてもらっている。
やはり我々同様、他の存在に依存し、生きているんだ…。”
もちろん、彼らに支えられていたから、その『宇宙循環のゆりかご』の中で、私のいのちの炎は、今日まで消えなかった。
そして彼らも同じく、『宇宙循環のゆりかご』の中で他者に支えてもらって生きている。…全てのものが…!
“宇宙にある全てのモノは、依存し合い、循環している。”
(そう思いません?)
(よくよく考えればめっちゃ当たり前の話なんですが…(////)。)
なのに、そんな当たり前の事に、長いこと全く気付けていなかった私がいたのでした。
…いえ、頭ではもちろん知っていましたよ?
でも、頭で知っていただけ。
その事実を全然リアルに、ハラで感じていなかったのです。
…さらなる気付きが、ご褒美のように訪れました。
究極的に見れば、宇宙に存在するもの全てが、依存し、依存され、(食べ、食べられ)生きながらえているんだな…。
…そして最後、ついに自分が死んだら、その後は自分自身を他者に差し出している。
つまり…、『死』が、次の『生』を生み出している。
“宇宙にある全てのモノは、自分のいのちを差し出し合い、循環している。”
それから私は、「食べること」についても想いを馳せました。
…ああ、そうか。
つまり、『生き物のいのちを奪ってごめんなさい』ではない。
「そうしなければ、いのちは続かない」んだ。
「そうするからこそ、いのちが続く」んだ。
そして私も日々、排泄物を出し、それが他の者のいのちを繋いでいる。
最後には、「自分のいのちそのものを差し出す」時が来る。
…依存し(頂き)、差し出し、いのちは循環する。
それが宇宙の営みであれば、その事そのものに、『評価』や『判断』は要らない。
かわいそうとか、ごめんなさいとか、ありがとうというレベルの話ではない。
そんな、人間のちっぽけな脳みそでジャッジ出来る話ではない。
これは、宇宙の決め事。
大いなる宇宙の意志。
吸い込み、吐き出す。
得て、差し出す。
波のように、それが繰り返される。
これが、宇宙が続くためのしくみ。
ものすごく大きな流れなんだ…。”
「私もその流れの中にいる。大きすぎる宇宙の流れの中にいる。ならば流れに逆らわず、有難く、そのいのちを自分のいのちに変えさせて頂こう。」
そっか、そのための儀式が、『食事』なんだな…。
グラスの水を飲む。
するとグラスの水は体内に入り、「自分の身体」に同化する。
(もう、グラスの水ではなくなる。)
動物の肉を食べる。
すると肉は、「自分の身体」に同化する。自分の細胞に変わる。
他の存在のいのちが、『自分自身』になっていく。
「あっ…!!自分の身体って…!
実は『いのちを差し出してくれた存在の集合体』だわ…!」
「…という事は…。
自分は、『自分』であるが、自分じゃないと言えるなぁ。」
「わぁっ!
自分の正体とは、『他のいのちの集合体』だ…!!」
(あっ!それってまるで地球や宇宙と同じだ…!)
(私は地球そのもの、宇宙そのものだ…!)
次々訪れる気付きの中で、ふと、孫悟空(そんごくう)を思い出しました。
孫悟空がどんなに自力で走っても、どんなに「オレはスゴイ!強い!」と頑張って見せても、所詮はお釈迦様の手のひらの上から出られず…。ちっぽけで弱い自分に気付き、ガックリ。
私も、孫悟空と同じでした(苦笑)。
「私は自立して生きている!だから誰にも文句言わせない!」
…でも、所詮は森羅万象の、ゆりかごの上で成り立っていたこと。
「うわ~、うわ~…、マジで自分ってちっちゃい、弱い…」
けれど、『宇宙の流れ』の中に存在している自分が心底ハラに落ちた時、有難さに心が打ち震え、目頭が熱くなりました。
「ああ、今までえらそうに生きていた…。」
毎日、他のモノのいのちを食べながら、『もうイヤ』とか『ヘトヘト』とか『自分は充分頑張ってるのに報われない』とか。
時には『死にたい、もういい』とかも、考えていた…。
不平不満を感じては、『生きる意味なんかない!』と怒って、心の中でかんしゃくを上げていた。
かんしゃくを上げながら、自立して、誰にも頼らずに厳しい社会の中で、踏ん張って生きているつもりでいた。
「…とんだ勘違いだった…」(赤面)。
…こんな風にして、孫悟空だった自分に気付いた時。
究極のご褒美が、私の目の前に現われたのですよ。
とんでもなく素晴らしい、『究極の気付き』が待っていてくれたのです…!
なんと!
それこそが、『真の生きる目的』でした。
(つづく)
「うわ~!辻さんっ!!まだ引っ張るとは…!!!」
ああっ、そうですよねぇ、
便秘中みたいにイラッと来ますよね、すみませぬ。
では次回、いよいよこのテーマ、最終回ですっ。
(『自己変革』~『生きる真の目的』へと到達します。)
今回も最後まで読んで下さり、有難うございました…!
本当に嬉しいです。(^-^)
ではまた♪
(今日もあなたやあなたの大切な人にとって、いい日でありますように。)
”国境なきレイキファミリー”の一員であるあなたとのこのご縁に、心からの感謝を込めて…。
つじようこ
PS
レイキは、使わなければ受講していない時とほぼ同じ状態のまま、特にこれといった変化や気付きはないですが、逆に楽しく活用するほど、最適な変化が起こり始めますヨ~♪
ここからさらに幸せないい波に乗っていけます♪ お楽しみに!
今日のまとめ
「自分の正体とは、『他のいのちの集合体』。
(あっ!それってまるで地球や宇宙と同じだ…!)」
by; 辻 耀子