こんにちは、辻耀子(つじようこ)です。(^o^)
いかがお過ごしですか?
私の中に「無償の愛」があると気づいた瞬間
我々は誰でも体調や気分にバイオリズムがありますよね。
だから、時には、
「やる気が出ない」
「根気が続かない」
「何もかも面倒くさい」
「やりたいことが分からない」
「体が重だるい」
「クヨクヨ」
「気分が冴えない」
「不注意によるミスが多い」
…という日もあるんですね。
実は、気力が萎えると、(気が滞ったり不足すると、)こんな状態になります。
(これ、バイオリズム的に、落ちてる時ですよね。)
ところが、このような状態が慢性化しているかたの場合、「自分の性格のせいだ」とか「根性が足りないからだ」と思い込んでいたりもします。
(あなたはどうですか?)
けれども…。
それ、性格が原因じゃないかも知れませんヨ!
気力消耗の場合、「気力の充電」をしたり気の滞りを解消すれば、くよくよイライラが吹き飛んだり、からだの重だるさが軽減・解消される事があるわけです。
気力の補充には、私は(色々、そりゃもう色々、何から何まで試した結果、)日本で千年以上の歴史を持つ「レイキ療法」が「けっこういい♪」「究極だ!」と気に入っています。
…でもね。
実は、レイキ歴16年の私、「レイキの素晴らしさは、そんなものじゃない」とも知っています。
『気力の補充』など、まだほんの序の口だと…。(フッフッフ。)
新米の頃は、まったく気けなかった事です。(これを知れば、さらにレイキが好きになる…♪)
では、スタート~♪
ところでいきなりですが、我々人間という生き物は、誰かに何かをしてあげたら、どうしても「有難う」って言ってもらいたくなる生き物だと思いません?
どれだけ心優しい、無償の愛を実践する人でも、誰かに100回親切にして、100回とも相手から「してもらって当たり前」という態度を取られたら、「たまには感謝ぐらい言ってくれてもいいのに…」と思うものじゃないかな、と思うんですよ。
なぜなら…。
通常は、肩たたきであれ、マッサージであれ、家族や友人、誰かに向けてやってあげると、「やってあげた側」は、多少疲れるものだからです。
そうすると、疲れた分だけ「有難う」って言ってもらいたくなるのです。
(言ってもらえたら、それだけで自分の疲れは癒されたり、さほど気にならない。でも言われなかったら、何だかガックリ。そして、毎回相手からの感謝がなければ、やがて「甘えてるんじゃない?」「いつもやってもらって当然だと思わないでよね」という気分に…(苦笑)。)
それが人情というもの。
レイキを学び出した当時、私はよく、無償の愛について考えていました。
「“無償の愛”というのは格好いいし、憧れるけれど、実は相当難しいな…。」
そして、こう思いました。
やっぱり、「なんの見返りがなくても平気」という人は、そうそう居ないんじゃないかな。
だって、それが人間。
だから“無償の愛”は、やっぱ、神様、仏様の領域にある愛なんだな…と。
人間同士は、「愛情や思いやりのキャッチボール」がすんなりいくと、お互いがハッピーな気持ちになれるものです。
何かをやってあげたり、やってもらったり。
感謝されたり、感謝したり。
役に立ったり、支えられたり。
要するに思いやりや愛情の贈り合いが、まるでシーソーみたいにぎっこんばったん揺れている時、我々は互いに楽しい♪嬉しいのだ、と♪
そして笑顔になれるのだ、と。
(逆にシーソーがどちらかに傾いたまま固定された関係になると…、つまり愛情が一方通行になり、相手からの「有難う」がなくなると、次第に寂しくなり、わびしくなるのだと。)
そんな風に思っていたのが新米時代。
…ところがね、その1年後、考えが変わったのです!
「うわ!これって…無償の愛じゃない?」
「私の中に、無償の愛があった…!!」
「神様、仏様の愛があった…!」
とまぁ、そんな驚きの瞬間があったのですよ。
それが、私の場合は、レイキ療法の理論(しくみ)と、起こっている事を『真に理解した時』だったのでした。
誰かを癒すほど自分も癒されるレイキヒーリング
どういう事か、今から説明します。
「レイキ療法」は、いわゆるマッサージサロンやエステサロン等と同じように、「施術する人」がいて、「施術を受ける人」がいるわけです。
(=癒す側、癒される側。)
ところが、驚くべき事に、レイキ療法の『真のメカニズム』は、こうなんです。↓
「誰かに施術する側も、施術を受ける側も、施術をスタートすると、同時に気力を充電される。」
…意味がわかりにくくてすみません。
ともあれ、「癒す側」が、まず大自然のエネルギーを受けて満たされます。
その後(数秒後)、「癒される側」の人へと、エネルギーのおすそ分けが溢れ、流れていくのです。
必ず、この順番なのです。
だから、施術者と癒される側は、どちらも同時に『癒されてしまう』のです。
つまりレイキ療法を行なう側の人は、どれだけ相手に『気』を送っても、まったく疲れません。
疲れるどころか、やってあげればあげるほど、どんどん自分がイイ感じに充電されていくのです…!
どうです?
私は、この『真のメカニズム』というのか、『レイキ・ヒーリングで真に起こっている事』に気づいた時、「これはすごい…!」と驚愕したのです。
初心者のうちは、このメカニズムについてよく理解できておらず、体感も出来ていなかったので、「施術を受ける人のほうがオトク」と思い込んでいました。
(また、初心者のうちは他者に施術を行う事に対して慣れていないため、不要な疲れを伴います。未熟者ゆえの、緊張や気遣いからくる疲れです。)
けれども上達して、エネルギーの流れをスムーズにキャッチできるようになると、『その思い込みは間違いだった』と気づきました。
「誰かを癒せば癒すほど、私自身がどんどん癒されて、気力が充填されていくのが分かる…!」
自分も相手も心地いい。
自分も相手も、満たされる。
どんどん相手は気力に満ちて、キラキラピカピカになり、ほっぺが湯上りのようなピンク色に。
一方、自分のほうはと言うと、
“…うわ!私、全然疲れない…!”
それどころか、誰かに施術を行えば行うほど私の心は穏やかになり、心地いい至福に包まれるわけですよ。
いつしか私は、レイキを誰かに贈らせて頂く時に、「レイキ・ヒーリングをやってあげる」ではなく、「レイキ・ヒーリングをさせて頂く」という風に表現するようになっていました。
何しろ『させて頂く機会』があるおかげで、自分がまさに、いい状態になれちゃうわけです。
…私ね、この時、生まれて初めて、こう思ったんですよ。
「別に有難うって言われなくても、そんな事気にならない!」
「いえ、むしろ、どんどんやってあげたい。誰かもっとやらせて~!」
そんな風に変化している自分を見つけ、心底、そんな自分に驚きました。
「うわっ!今、私、完全に見返りを求めないモードに入ってる…!」
「これって…無償の愛だ、神仏の領域の愛だ!」
「人間同士でも、無償の愛は実践できる…!」
これが、「自分にはムリ」と思っていた、憧れの境地にいる自分を発見した瞬間でした。
何となく伝わっています?
今回私が伝えたいこと。
レイキの『第2の醍醐味』。
昔の私は、何かを頑張ってやってあげた時、もしも相手から「有難う」って言ってもらえなければ、最初は良くても、だんだんつらい気持ちになってました。
見返りを求めずにいられなかったんです。
(時には「有難う」って言ってもらいたくて、誰かに親切の押し売りをしてしまう時もあったものです。)
そして、「人間なんてみんな、そんなもんだよ。見返りを求めるものなんだ。無償の愛など実践できるわけがない」という具合に、分かったような気になっていました。
ところが、違ったんです…!!!
「自分も、無償の愛の境地を体感できた!」
それが、レイキ・ヒーリングに慣れてきたころに起こった気づきだったのでした。
「うわ…なんと有難い事だろう…」って思いました。
何しろ、自然と感謝が湧き上がってくるのです。
無償の愛の状態。
「今ここ」に何ら不平不足がなく、「これでいい!」と思える至福の状態。
言葉や理屈を超えた安心感。
生きているよろこび。
それが、目の前にあったのです。
ともかく、そんな境地の自分に出会い、自分でビックリしながら、大感激したのです。
これが、私にとっての『第2の醍醐味』を体験した瞬間のお話です。
…ところが。
よろこびは、これだけで終わりませんでした。
さらに感激するような体験が待っていたのです…!
(それは、また次回に!)
今回も最後まで読んで下さり、有難うございました…!
本当に嬉しいです。(^-^)
ではまた♪
(今日もあなたやあなたの大切な人にとって、いい日でありますように。)
PS
レイキは、使わなければ受講していない時とほぼ同じ状態のまま、特にこれといった変化や気付きはないですが、逆に楽しく活用するほど、最適な変化が起こり始めますヨ~♪
ここからさらに幸せないい波に乗っていけます♪ お楽しみに!
(当協会は、流派系統を超えて全世界のレイキ実践者の学びを補助する組織です。)
今日のまとめ
「レイキの新米さんへ。他者への手当て経験を積むほど、ご自身の気付きが加速します。」
by; 辻 耀子