こんにちは、辻耀子です。(^o^)
いかがお過ごしですか?
さぁ、今日のテーマに入りますっ!
『安心立命と、人生成功の関係とは?』その6-人生の道を軌道修正する方法!-
です。
・「自分の才能資質が見つけられない…」
・「ツイてない、なかなかチャンスが来ない…、幸運に恵まれてない気がする」
・「チャンスをみすみす逃すようなところがある」
こんなあなたは、必読ですよ!!
何しろ、これを知ってるのと知らないのとでは人生が大違いですから!
…お待たせしました!
今回はいよいよ、「そこからどうやって人生を向上させるのか?」その方法も書きます♪
では、始まり~!(^-^)
前回までの内容・まとめ
◆『上級者』になるにつれ、日々の生活の中でいつでも落ち着いた心で過ごせる時間が増えていき、「イライラ・クヨクヨ」が減ります。
これが、理想的な精神状態への進化。『安心立命』の道です。
◆ところが『安心立命』の道と真反対の道が、存在します。『人生失敗への道』です。
◆『失敗への道』には2つあります。
それは、『自己否定の道』と『犠牲的奉仕』の道です。
もしも気付かずに間違った道を進んだ場合、どんどん人生のチャンスを逃します。
また自分の才能資質、いいところが見えず、自分らしく生きられません。
※前回のブログは以下です♪
「犠牲的奉仕」では誰も幸せになれない
さて。
私・つじようこの失敗体験と、「どんなワナにハマっていたのか?」を暴露する、このやや自虐なシリーズも、もう6回目です(笑)。
はやいなぁ~!
私は、上級(サードレベル)を受講した事がきっかけで、
「なぜ、自分は頑張ってるのにたいして報われないのか?」
「なぜストレスとイライラばかりの人生なのか?」
この『なぜ?』に対する答えを得たのです。
私は、自分でも気付かないうちに、『安心立命』とは真逆の道をずんずん進んでいました。
2つの道の1つめである『自己否定の道』のワナは、「反省モードで生きること」。
多くの人が私と同じく、一生懸命「よりよい自分になるために」よかれと思って、『反省』したり、努力しながら生きているものだと思うんです。
でもこれこそが、完全に間違った努力なんですよね…。
(私はレイキの上級講座を受講するまで、この事に全く気付けていませんでした。)
(※「反省する事そのもの」が悪いんじゃないんです。
まぁ3日間ぐらい反省するのは、普通だし、いいことなんです。
でも私は、ずーっと四六時中反省しながら生きてたんですよ。
毎日毎日、新しいネタで反省を繰り返していたのです。こういうのが『反省モード』です。
日々、反省する事が自己成長につながるのだと誤解したまま、間違った努力を積み重ねていました…。うう。)
で、今日は『人生失敗の道』の2つめ。
それは『犠牲的奉仕』の道です。
(これもまた、『安心立命』と真反対の道です!)
(でも、うっかり行ってしまう、第二のワナなんです。)
(第二のワナのほうが、さらに見破りにくいので要注意なんですっ。)
では、『安心立命の境地』へとスムーズに進みたい人のために、ここをもう少し具体的に説明してみますヨ。
あなたは、いつも周囲の人たちをよろこばせ、笑顔にし、癒し、多くの人たちから賞賛され、よろこばれる存在の人であるとしましょう。
(「え(汗)、全然そんな事ないですよっ!」と今思ったあなたも、気にせずに先を読んで下さいナ。)
けれども…。
もしもあなたが『あなたらしくなく、ムリをして、不自然』なやりかたでそれをおこない、自分の身を削ったり、一人で重圧を背負ったり、我慢や忍耐ばかりするならば、それは『安心立命』ではなく、『犠牲的奉仕』への道なのです…。
…この『犠牲的奉仕』は、一見とても格好いいんです。
ほら、よくドラマなんかでありますよね、「オレはいいから、お前は行け!」というシーン。
…ちょっと、あれをイメージしてみて下さいナ。
(ああいうの、格好よくないですか?)
でも、もしもあなたが、あの格好いいヒーローじゃなく、『ヒーローに助けられる側』だった時には、どんな気持ちでしょうか…?
例えばあなたとお友達が道を歩いていて、いきなり数名の強盗に襲いかかられたとします。
友達が咄嗟にあなたをかばってケガをし、その場に倒れつつもあなたのほうを振り向き、「オ…オレはいいから、お前は行け、早く逃げろ…!」と言いました。
言われたあなたは、どうでしょう?
…もしも言われた通りに一人で逃げたなら、その時に どんな気分になるでしょう?
(どうですか?)
友達に背を向けて走る時、気分はいいでしょうか?
友達を残して逃げるんですよ?
後味、悪いですよね…。(たとえ警察を呼びに行くとしても。)
それに、その場に残る友達が気になりますよね。
なんだか心がモヤモヤしませんか?
少なくとも「ラッキー♪助かった!逃げようっと♪」な~んて思えないんじゃないでしょうか。
自分を責めたりもしませんか?
「自分は卑怯なんじゃ?友達を置いて逃げるなんて…!」と。
そうなんです、「オレはいいから、お前は行け!」
…これが『犠牲的奉仕』の行為です。
だけど、それをされたあなたは、自分だけが幸せな気持ちになれるわけないんですよね。
『犠牲的奉仕』は、一見相手を「幸せにし、よろこばせるやり方」に見えます。
でも…。
『ムリや我慢、犠牲、自分が背負う』という方法で誰かのために何かをやった時、本当は、それをしてもらった側の人は、あまり嬉しくないのです…。
「いや~辻さん、そんなの当たり前ですよ!その通り!当然だと思います!」
そうでしょう、そうでしょう。
けれども…。
私達は日常生活の中で、時折この『犠牲的奉仕』をやっちゃったりしているものです。
(それも、無自覚で。無意識的に。そうとは気付かずに。)
ひょっとしたらあなたのご両親が『犠牲的奉仕』をやっている人かも知れません。
「母さんが、よなべ~をして、てぶく~ろ編んでくれた~~」の世界です。
…お母さんが睡眠時間を削ってムリをし、編んでくれたてぶくろ。
お母さんの目の下にはクマが。明らかに、濃い疲労の色が浮かんでいます。
さぁ、この手袋を渡された子供は、どんな気持ちになるでしょうか?
よろこびつつも、申し訳なく思うものだと思いませんか。
「ありがとう、…でも…ごめん。」
(あなたも、誰かに何かをしてもらった時に、「有難う」よりも「申し訳ない気持ち」になった事、ありませんか。)
お母さんがパートの仕事を頑張って、あなたを高い塾へ行かせてくれた時はどうでしょう。
毎日毎日、お母さんは睡眠不足なのです。
「もういいよ、そこまでしなくっても!!」と言いたくなりませんか。
(それでも、もしも「お母さんはあなたのためなら、睡眠時間が4時間でもへっちゃら…」なんて、青白い顔で言われたなら、ついつい「もういいから、放っといてよ!」と怒鳴りたい気分になったりしませんか?
実際よく似た体験、ありませんか?)
お父さんが毎晩残業でくたくたになって帰宅しては、「家族のためだから、オレは嫌な仕事をやめる事も出来ない…お前らの学費が高いから…」と毎晩家でボヤいていたなら、どうですか。
「家族のためって、これ見よがしに恩着せがましい空気を出すな!うっとおしい!」
…正直、こんな気持ちになって、イラッとくると思いませんか。
私達は誰でも、『犠牲的奉仕』を毎日毎日 目の前で繰り広げられると、最初は「ありがたい」と思えたとしても、徐々に気分が悪くなるみたいです。
もちろん、咄嗟の時に「オレはいいからお前は逃げろ!行け!」な~んて言われると感激する時もあります。
「うわ…、自分なんかのために」と。
けれども…。
それが長く続き、慢性化すると、感激よりもモヤモヤが胸の中で膨らんでくるのです。
そう。『犠牲的に奉仕をされた側』の人は、徐々に「有難い」という気持ちよりも、「申し訳ない」と思い、「自分が無能なお荷物に思えてつらくなる」のです。
(自分をふがいなく思い、情けなさに襲われたり自己嫌悪します。)
それでもまだ、相手が自分に対して犠牲的奉仕を続けると…。
やがてつらさ通り越して、腹が立ってきます。
「見てるとイラッと来る!」「恩着せがましいな!」というモードになるわけです。
(結果、2人の仲はこじれます。親子であれ、恋人同士であれ。)
…つまり、『犠牲的奉仕』は、一見ドラマのヒーロー的で格好いいのですが、慢性的になると、両方がハッピーにはなれないようです。
(※しかも身近な人、恋人、友人、家族などからこれをされるほど、精神的にキツいのです。)
「犠牲的奉仕」が人間関係をこじらせる理由
いや~、それにしても…。
自分の事を振り返ると、嫌になります。
一体私はどれぐらいの期間、ここで間違い、このワナに引っかかっていた事でしょうか。
『犠牲的奉仕』と『安心立命』の区別が付かず、何年間もひっかかっていましたよ(汗)。
ヒーローになったつもりで、周囲の人に『居心地の悪さ』や『申し訳なさ』『劣等感』を感じさせていたのです。
で、当然、最後には「ウザい!」などと、相手からひどい態度を取られ、私自身は「へっ?!ワケがわからない…。何であんな態度を取られなきゃならないの?!少しは感謝してよ!」と心の中で泣きたくなっていました。
というわけで…。
『安心立命の境地』に至るためには、『ありのまま、自然体の自分』を見つける必要があるのです。
その上、『誰かのため』のムリや我慢、頑張りすぎ、責任の背負いすぎをやめなければならないのです。
もしも親しい人と、人間関係がうまくいっていないならば、あなたはまず、
「自分は誰かに対して、犠牲的奉仕をやってないか?」
「相手が自分に対して、犠牲的奉仕をしてくるから、苦しくなってないか?」
と自問自答するところからスタートです。
「ああっ!辻さん!! やってます~~、犠牲的奉仕!( ̄□ ̄;)!!」
おおっ、気付けた勇気に拍手です!!
(ここ、気付くの勇気いりますからね…本当に。)
そうしたら、あとは方向転換するだけ!!(^o^)
『自分だけがヒーローになる』という方法じゃなく、新たな方法を取ればいいんです。
それは、『一緒に立ち向かう』または『一緒に取り組む』という方法です。
『やり方』を切り替えるだけなんですね♪
ここでのコツは、もしも相手から「余計なおせっかいはやめて!!」という態度を取られた時に、「何よ!偉そうに!感謝ぐらいしてよ!」というところに行くのではなく、相手が『申し訳なさ』をつのらせ、つらくなっている事に気付けるかどうか、です。
「ちぇっ、相手のためにやってあげたのに…」と思った時には、要注意です。
(ちょっと上から目線のヒーローモードになっているかも知れないからです。)
…何となく、このニュアンス、解ってもらえたでしょうか。
『犠牲的奉仕』は格好いいですが、『相手を弱者として扱う事』でもあるのです。
だから、気付かないうちに相手のプライドを傷つけ、みじめにしてしまうのです。
また、相手は「ここまでやってもらったら自分も何かを返さなければ」と重荷に感じたり、「でも、返せるものが何もない…どうしよう」と情けなさを感じたり、「もっともっと期待に応えなければ!恩返しをしなければ!」というプレッシャーを感じたりします。
あなたのほうも『犠牲的』に『奉仕』をやっているのですから、だんだん精神的にキツくなってきます。
そして「もう!感謝してよ!でないとやってられない!」とイライラモードになり、そのうち『相手のせいで自分ばかりが苦労している』と考えるようになります。
(自分が、相手の犠牲になっているような気分になるわけです。相手がラクしてサボっているように感じるかもしれません。)
そして最後には疲れ果てて、「もうイヤ!」となるのです。
『犠牲的奉仕』は、両方が気持ちよくなりません。
(まさに『人生失敗の道』だと思いませんか…?)
だからこそ臼井式レイキでは、初級にて最も大切なコツを伝えているんですね。
『まずあなた自身が自己浄化し、スッキリ元気に、癒さた状態を目指しましょうヨ』と。
「あなたが第一優先。あなたがまず、満たされて満足しよう!」という事ですよね。
(※でもこれ、実は、頭では理解出来ても、実際には相当勇気の要る事です。
なぜなら、自分を優先させる事は、なんだか自己中心でわがままなように思えてしまう事もあるからです。
だから『犠牲的奉仕』のほうが、ぶっちゃけ おこなうのがラクなんです。
ヒーロー気分も味わえますしね。
ただしずっとやり続けると、結果的に相手にキレられ、ウザがられ、終わるんですけど…(^_^;)。)
レイキ療法は「犠牲的奉仕」にならない
まとめます。
真の癒しは、片方が弱者になりません。
『癒される側』がみじめにもなりません。
真の癒しが起こった時には、『癒し手』と『癒される側』の両方が、心からハッピーになります。
中級の『他者を癒す』を実践してみると、やがて大きな気付きに到達します。
それは『他人のため=実は自分のため』という気付きです。
(レイキの場合、『癒し手』と『癒される側』が存在しないという事に気付けるからです。
両者が『癒される側』であり、ヒーローが存在しません。)
“真の癒しは、『両方』が心からハッピーになる。” これですヨ♪
今日も長くなりました、最後まで読んで下さり、ものすごく嬉しいです!(^o^)
次回も読んでもらえると、さらに嬉しいです~~vv
では、明日もあなたやあなたの大切な人にとって、いい日でありますように。
※レイキ上級受講後の気付きや変化は、それぞれです。
(「もしもあなたと私とが、海外旅行で同じ場所に行ったとしても、そこでの体験が違うように、」私の上級受講後の気付きは、ごく個人的なものです。)
上級講習では、その人にとって必要・最適な事が起こります。
そして、あなたの身の上には当然、あなたにとって最高・最適な事が起こります♪
なお、『深い気付きと人生の変化』は、日々の思考・行動と連動しています。
上級アチューンメント受講後、レイキを活用しなければ、受講していない時と ほぼ同じ状態のまま、変化は起こらないですが、逆に楽しく活用すればするほど、
最適な変化が起こり始めますヨ♪
(当協会は、流派系統を超えて全世界のレイキ実践者の学びを補助する組織です。)
今日のまとめ
「『犠牲的奉仕』より、『真の癒し』を起こそう。
それは『両方』が心からハッピーになるかどうかで確認できる。」
by; 辻 耀子
最後まで読んで下さり、本当にありがとうございました♪
あなたの応援、心より感謝致します♪