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レイキで覚醒できるのか?悟りについて

こんにちは、NPO法人 日本レイキ協会・理事長の辻耀子(つじようこ)です。

いかがお過ごしですか?

【注意】「レイキで病気が治る」は医師法に反する表現

前回は、『レイキで病気は治せるのか?』というテーマで書きました。

ビックリするほど多くの感想メールを頂きました。(マジで驚きました…!)

こんなの、ホント久しぶりでした。

それだけ、みなさん興味のあるテーマなんですね…。

嬉しかったし、私も勇気もらいました。有難う。応援します!

そうだ、一つだけ、付けたしがあります。

ご存知のとおり、「レイキで病気が治る・病気に効く・効果がある」という表現は、医師以外が使うと、医師法に反してしまうのです。

個人が、自分の感想や体験談を『個人的に語る程度』であれば問題ないのですが、レイキ指導者のかたは、特に注意が必要なポイントです。

(みんなで気をつけていきたいポイントですね…!)

悟りとはどういう状態のことか?

さぁ、今回は前回と並んでキワドいテーマで書いてみますっ。

それは、『覚醒』について、です。

「レイキと覚醒(悟り)について、教えて下さい」

「悟りに興味があります。日本伝統式の自己鍛錬で、悟りに近づくコツなどあれば教えてもらえませんか?」

…このようなご質問を、時折頂きます。

辻:「え?覚醒?(汗)。」

…もちろん、「コホン、では教えてしんぜよう」と言えるほど、私は達観していないですよ~(苦笑)。

そんな私が偉そうに書けるテーマじゃないのですが、実は私は『悟りオタク』なんです!

ですので、私なりに書いてみます。

出来るだけ『悟り』と『覚醒に近づく方法』を、簡単・シンプル・カジュアルに表現してみますっ。

(※上級者向けの内容ではありません。)

ではまず、『悟り』とは一体なんぞや?!

…ここからスタートですよっ。

ブッダいわく、「悟りは、苦しみの終わりである」。

臼井先生いわく、「悟りは、安心立命の境地である」。

という事は、もしもあなたや私が「ああ~心が平和だな~有難いな~」という気持ちで過ごせたならば、どんどん悟りの境地に近づいていっていると捉えてもよさそうです♪

(※『覚醒』=悟りの境地に至ること。)

ちなみに、私達は誰もが、「苦しんだり、怒ったり、不平不満を感じながら、同時に感謝も感じる」という事はできないんですね。

“心地いい気分を感じつつ、同時に怒りも感じる。”

…これはムリなんですよね。真反対の気持ちを一緒に感じる事は不可能です。

と言う事は?

心の底からスッキリと心地よく感謝している時というのは、まさに心の中が澄み渡り、怒りも苦しみもなく、浄化されていて静かなんですよね。

これぞ、「苦しみの終わり」の境地、という感じがしませんか♪

もしも、自分自身の置かれた状況に関係なく、そう思いながら過ごせたならば、まさに『安心立命』(=悟り)の境地!

いいですよねぇ~♪こんな風に、穏やかに軽やかに、心が平穏でいられたら。

感情はコントロール出来ます!

ところで、ここで知っておいて欲しい重要な事を一つ、お伝えさせて下さいっ。

実は我々は、自分自身の気持ち(=感情)を自分でコントロール出来るのです。

「ええ~、ウソだ~!」と思われたかたもいるかも知れませんが、ホントです。

練習してコツを掴めば、だんだん上手くなるものです。

…そうすると、「心が穏やかに軽やかに、平穏でいられそう」だと思いませんか?

けれども、そうなるためにはまず『心の大そうじ』が必要なかたもいます。

どういうタイプのかたかと言うと、ちょっと意外なタイプのかたです。

それは、今までの人生の中で、たくさんの我慢をしなければならなかったり、さびしくてつらくて悔しくて、泣きたい気持ちの時に、独りきりで歯を食いしばって耐えるしかなかった人です。

そうやって、数々の我慢やつらさ、理不尽さを乗り越えてきた人ほど、押し殺してきた『つらさ』が、おなかに(体内のあちこちに)蓄積している事があります。

(押し殺した感情の正体は、実はエネルギーです。目に見えませんが、これが確かに、体内に溜まっています。)

(レイキ実践者の人が感じる『ヒビキ』の中には、この感情エネルギーも含まれます。)

だからこそ、日本伝統式・自己鍛錬法の出番なんです(初級アチューメント講座で学びます)。

心の大そうじをして、「がまん」「つらさ」「悔しさ」を、溶かすのです。

様々な呼吸法や瞑想、座禅や内観、心理分析でも「心の大そうじ」は可能です。

「けれども、『レイキを活用した呼吸法』(=日本伝統式・自己鍛錬法)は、シンプルで 効果が高い!」

…色んな方法を試した結果、私はそう強く実感しているのです。

押し殺したつらい感情の大そうじから始めよう

私の本業は色々あり、そのひとつが心理分析士なのですが、悩み相談を受けている時、こんなセリフをつぶやくかたがいます。

「○×さんには感謝してるんです、でも…。」

おや?

「でも…。」がついている…??

そう。先ほどお伝えしたとおり、私達は『感謝しながら、同時に不満を感じる』というような器用な事は出来ません。

つまり、「感謝してるんです」の後に、「でも…。」が付く人の場合、その人の本心は、「○×さんに感謝したい、感謝するべきだと頭では分かっている。でも出来ない」という苦しいジレンマの状態…と言えるのですね。

(その人の深層心理を探っていくと、そこには『不平不満』『怒り』などがあります。)

だからこそ、「感謝しながら、不平不満やつらさを口にしてしまう」という人の場合、心の大そうじが必要なのです。

なぜなら、「感謝するべき…感謝するべき…」と一生懸命念じなければ感謝出来ないほど、感謝する事にパワーと努力が必要な心の状態だからです。

(本来、『感謝』って、もっとサラッとしていて自然に沸き起こる気持ちですもんネ。)

(つまり、がんばらないと感謝出来ない時というのは、ちょっと無理してるわけです。)

「あの人はいい人だってわかってるんです、でも…」

「あの人の言い分も分かるんです、でも…」

「こんな風に思うべきじゃないってわかってるんです、でも…」

これらのセリフが口をついて出る人も、同じです。

今までの人生で何度もつらい事があり、たくさん たくさん我慢してこられたんです。

やりきれない想いが、言い尽くせないほど あるんです。

それが、おなかに残り、蓄積しています。

この、おなかに溜まっている『押し殺したつらさ』。

これが、まるで錘(おもり)のようにそのかたの人生をしんどくしています。

体もだるく、心もだるい。

だから、感謝したい場面なのに、「しんどい」「不十分」「あんたなんて」あるいは「ごめんなさい」「こんな自分なんて…」という気持ちが一緒に出てきてしまうのです。

(場合によっては、そちらの気持ちのほうが勝ってしまうのです。そうすると「有難いです…」と口にしていても、どこか寂しそうだったり、苛立ちが表情、雰囲気から漏れてしまっていたりします。)

こんな時、私は、カウンセリングの中でお尋ねします。

「『感謝してます、でも…』とおっしゃいましたね。『でも』の後に、どんな言葉が続くのですか?」

「でも」の後の言葉を自覚するのは、時にはとんでもなく怖いものです。

自分自身に正直になるのが、とても怖い。

なぜなら、本心を自覚してしまったら、(人間関係など)、築いてきたものや努力の全てが壊れてしまう気がするからです。

日本伝統式・自己鍛錬法を、外から感情を眺めながら行おう

このような時、心理分析の手法を使って深層心理を観ていくのもいいのですが、もっとソフトな方法があります。

それが、『日本伝統式・自己鍛錬法』です。

ここまで読んで「ギクッ」としたり、思い当たる節があったならば、その人はぜひレイキと繋がり、自身にレイキを流しながら日本伝統式・呼吸法を行なってみて下さい。

この時、「感謝しよう、感謝しよう」などと考える必要は全くありません。

「なぜ感謝できないのか?」と自己分析する必要もありません。

「感謝すべき」という気持ちも不要です。

代わりに、ただただ、だら~~ん、として下さい。

呼吸に意識を向けて、静かに耳を澄ましてみて下さい。

もしも心地いい体感を得られたなら、それをしみじみとゆっくり味わって下さい。

寂しさやむなしさ、情けなさ、苛立ちを感じたとしても、そこに浸りきらず、しみじみ、耳を澄ましてください。

「あ~、今こんな気持ちを感じてるんだな…」

こんな風に、自分を眺めて下さい。味わうのです。(これを俯瞰(ふかん)状態と言います。)

さて。「嫌な気持ち(=感情)をコントロールできる自分になる」には、ちょっとした練習とコツがあります。

(※ある日いきなり、「感情が自在にコントロール出来るようになった!」という事は起こりませんヨ。そんなミラクルは期待しないで下さいね。けれども、練習すれば、少しずつ上達します♪必ず、です! 大丈夫、やれます♪)

その練習法は、さっきもチラッと書いた通り、「もう一人の自分が、感情に飲み込まれている自分のことを観察する」という俯瞰(ふかん)の方法です。

実は、私達の多くは、『自分=(イコール)自分の気持ち(感情)や自分の思考』だと信じています。

「え?それって自分に決まってるじゃない!」という感じのはずです。

(私のように、心理学オタクや悟りオタクじゃない限りネ。)

まさか、『自分』と『自分の気持ち・自分の思考』が、別々に分かれているものだとは、思いつきもしないものです。

でもね、本当のあなたは、『魂(たましい)』だって、言うじゃないですか。

…ご自分の魂を、実感したこと、あります?

(魂を実感する方法、あるんですよ!というか、あなたも感じた事はあります、過去、絶対に!…でもそれを書くと長くなるので、また次回お伝えしますよ~。)

というわけで。話を『感情をコントロールする練習法』に戻しますっ。

今、実感できなくても全然いいので、とにかく、

『あなた自身』と『あなたの気持ち(感情や思考)』は別々のものである、というつもりで、読み進めて下さいナ。

例えばレイキの呼吸法をしている時、自分の真後ろに、もう一人の自分が座っている図を思い浮かべる事ができますか?

“背後の自分が本当の自分で、目の前に居る自分を観察している…。”

そんなイメージが出来れば、バッチリなんです。(^o^)

なぜなら、もうその瞬間、『自分自身の心』と『自分の気持ち(=感情、思考)』とが切り離されていますから。

ただ眺めるんです、背後から…目の前にいる自分の気持ちを。

自分が考えてる事を。

「ほお~、そんな事を感じてるのか」

「へぇ~、おなかすいてるんだな。うどん食べたいんだ」

「ははぁ~、あいつの事で悩んでるんだねぇ~」

…ポジティブなこと、ネガティブなこと、何が浮かんでもいいんです。

「ポジティブだ」とか「ネガティブだ」とか、「そんな事考えるべきじゃない」とか、そういったジャッジをせずに、ただ、「ほぉ~」と、まるで他人事のように眺めるんです。

これが、『感情をコントロールする練習』にもなり、引いては『覚醒に近づく練習』になります。

(※なぜ覚醒に近づくのか、という事を説明すると、10回連載しなきゃならなくなります(^_^;)。けれどもともかく、小さな『気付き』と『受け入れ』の連続の先に、『大悟』と言って、『覚醒』が待っているのです。ダムの決壊が起こる時がいずれやってくるのです。)

ともあれ、この練習は、どうぞ楽しんでやって下さい。

「悟ろう、悟ろう」と必死に(シリアスに)ならないで下さい。

やがて、気が付けば「パーフェクトではないが、多くの場面で、感情の波に飲み込まれる事がなくなったな…。怒ってても、『あっ、今怒りかけてる!』と気付けるし、『今回は外に出すのはやめとこう』と思えたり、ヒュッと怒りを引っ込める事が出来るようになってきたぞ~♪」と気付ける日が来ます。

今回はここまでです!(^o^)

いかがでしたか?

次回は、「悟っている人とそうじゃない人の見分け方」、

「あなたが、自分の魂(たましい)を実感する時とは、どんな時?」

「呼吸法や瞑想中、感情を沈めたくてやっているのに、うまくいかない人の原因と、うまくいくやり方のコツ」

をお伝えします!


今日のまとめ

「こころに溜まった『つらさ』の錘(おもり)。浄化して溶かす事により、『覚醒』に近づきます。」

by; 辻 耀子

最後まで読んで下さり、本当にありがとうございました♪

あなたの応援、心より感謝致します♪

今日も、あなたやあなたの大切な人にとって、いい日でありますように…。